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人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

想い出で色付けられるゲームこそ、名作と言えるんじゃないだろうか。

ゼルダの伝説時のオカリナをクリアした。

 

一足早い春休みを迎えたので、部屋を掃除して発掘したゲームを戒めのように積み重ねていた。その塔は見たまんま積みゲータワーとなって、目の前に聳え立っていく。

ゲーマーを自称してはいるものの、買ったのにクリアできていないゲームが30本近くあるのは、長年ゲーマーとしても悔しかったし、ずっと胸の中につかえた痼りのような何かとして処理仕切れていなかった。

だからこそ、春休みという長期の時間を利用して3年前に始めていた「ゼルダの伝説 時のオカリナ3DS」をクリアしようと思い至り、手を付けた。魂の神殿、ラストダンジョンの一つ手前のところで止めていたのは覚えていたし、自分が何故倦厭していたのはわからないくらい、わりかし、するするとボスを倒し、つい先日、ラスボスを倒してハイラル世界に平和は訪れた。

3年越しの、いや、自分にとっては、7年越しのクリアだった。作中で、主人公リンクはガノンドロフを倒すため、マスターソードを抜きに時の神殿に辿り着く。しかし、マスターソードの力にリンクの肉体が耐えきれず、勇者はそのまま7年間の眠りについてしまう。

自分が、時のオカリナを始めたのは、WiiでのVC配信(時のオカリナは64のゲームだが復刻版としてWiiでのデータ配信を任天堂は行っている)からであって、その頃からずっと挑戦し続けていた。最初のダンジョンのデクの木サマの死を何回繰り返したかわからないくらい見届けた。一番進んだのも、大人時代、一つ目のダンジョン森の神殿までだった。そこから数えて、約7年間。10回以上のリセットと挑戦を繰り返してきて、昨日、この手でガノンにトドメを刺し、悲願のクリアをしたのだった。

でも、自分は、オカリナのエンディングをずっとずっと前から知っていた。時のオカリナというゲームは、記憶する限りで、妹が亡くなる直前にやったゲームのうちの一つだった。

7年前、妹がオカリナをクリアするのをずっと、私は隣で見ていた。

だから、全部結末もわかっていたのだ。

 

そもそも、積みゲーなんてやってもないゲームが溜まったのも、妹の入院がきっかけだったと思う。病院なんて監獄のように暇だから、母は娯楽の為にゲームを妹にたくさん買い与えていた。元々自分たち姉妹はゲームが好きだったが、特に妹は入院を通して輪をかけてゲーム好きになったと思う。ゆっくりと癌に蝕まれていく平坦な毎日の中、ゲームをやることでしかカタルシスを得られなかったというのもあるのかもしれない。そのくらい妹の日常はつまらない終わりの見えない地獄でしかなくて、それでも私も、そして、妹もゲームが大好きだった。入院がそれを助長したとしても、確かに自分たちは、ずっとずっと小さい頃からゲームが大好きだったのだ。それだけは本当だった。

休日は病室にDSを持って行って、妹のベッドの側で泣きながらポケダンをクリアした時は、看護師さんに白い目で見られた記憶がある。妹はとっくにスペシャルエピソードなんてクリアしてたから「いい話だと思ったけど泣けなかったよ。やっぱり姉ちゃんは涙脆いんだね」と笑っていた。妹はゲームどころか創作物で泣いたことはなかったけど、私は昔から涙脆かったから、それこそ病気になる前、Wiiスーパーペーパーマリオを二人でクリアした時は私だけがボロボロに泣いてティッシュが手放せないでいた。

うちはWiiを二台持っていたし、自宅用の私たちのクリスマスにサンタさんに買ってもらった白いWiiと、妹の病室用の黒いWii。黒いWiiの方はあんまり私は稼働させてなかった。病室に行っても二人ではWiiはやらなかったと思う。大体話すか絵を描くか二人でDS通信するかそんな感じだった。Wiiでは毎日欠かさず、妹はどうぶつの森をやっていて、村の環境を保ち続けていたと思う。死後、花だけ丁寧に家に閉まって結局今はあの村は荒れてしまっているのだろう。マメじゃなくてごめんね。

あと、入院していた時は、中古ゲーム屋に行って、母と二人で、妹のためのゲームを片っ端から物色した。その時にカゴに入れたのが、ドラクエ4とか黄金の太陽とか、あと、MOTHERだった。妹がやっていたその多くのゲームを私は未だクリアできないでいる。これは別に妹のことを思い出してしまって、クリアするのがしんどいとかではなくて、単に自分が、本当にその時には欲しいと思って買っていなかったからだ。選ぶゲームに自分の主体がなかった。妹の暇潰しのためだったから。唯一、自分もやりたいと思って買ったのが、MOTHERだけだった。滅多なことでは泣かない妹も、MOTHERだけは本当に大好きで、エンディングで泣くほど全てが好きだったと思う。特にMOTHER3は兄弟、家族愛の話だから、今考えると奇妙な因果だなあとも思う。この前妹の遺品を整理していたら、大体の好きなものに必ず「家族」と書かれていたことを見つけた。

今ならもう少し、ゲームには詳しくなったから自分も妹も好きなゲームをちゃんと選んであげられると思う。ゲーマーとしての自分の意思に削ぐわないままカゴに暇つぶしとして投げ込んだゲーム。 その適当に選んでしまったどれもを大体クリアしていた妹は、自分よりずっとゲームが上手かったのだと思う。自分が特別下手くそなのもあるが、少なくとも妹が12歳でクリアしたゲームをこちらは21歳でクリアしたってことは、やっぱりそういうことだったんだと思う。それでもまだ、ギリギリスマブラだけは勝てていた。でも真面目に戦うよりは、モンスターボールだけに縛ってポケモンバトルをしたり、スタフォ勢の会話コマンドやスネークの通信を試したりしている方が多かったかもしれない。それこそカービィのエアライドとかでも、ハイドラとドラグーンどっちが強いのか両側から最高速度でぶつけて試したこともあった。下手とか上手いとかじゃなくて、なんかアホみたいにゲームで遊んでいた。

 

そんな中でも、時のオカリナは、病室でやっていたゲームではなかった。骨髄移植が終わって退院して、一年間奇跡的に学校に通えていた、妹にとっても自分にとっても幸せな最期の一年間。その時に、居間でテレビをつけてWiiでやっていた。本調子ではなくて学校を休んだ時、なのにゲームだけは平日の昼間からやっていたから。そのダンジョンではわりかしサクサクと、怖がることもなくクリアしていたように思う。自分はゼル伝はめちゃめちゃ苦手な部類で、今回やり直していた時もホラー要素にヒィヒィ言いながら泣きながらクリアしたからこそ、比べて昔から妹はそういうことには滅法強かったと思う。絶叫マシン大好きとか、スキーでは必ず直滑降しかしないとか、肝っ玉の据わったような命知らずなところもあって、そういう、度胸があって頑固なところが自分はすごいなあと尊敬していた。当時小学生の割に、って話ではなくて人間としてただひたすらにひたむきで強かったと思う。

妹は時のオカリナをクリアしたあと、続編にあたるムジュラの仮面を途中まではやっていたけれど、結局クリアできなかった。そうやってやりかけのゲームがいくつかあることを知っている。ポケモンのブラックだって全部のポケモンを集めることはできなかった。死後、妹のゲームは実家に置いてきているが、共有していたゲームは全て自分が引き取って管理してしまっている。起動するたびゲームデータが生々しく妹の軌跡を写す。いつか、私こそ、ムジュラの仮面をクリアしたいと思っている。

妹が死んだ時、もう二度とゲームができないかと思った。本当にゲームが大好きで堪らなかったからこそ、ゲームを見るたび、そしてやるたびに妹のことを思い出した。スマブラがもう二度と家ではできなくなった。

それでもゲームが好きな気持ちはなくならなかった。そのくらい好きだった。ゲームを語る相手がいなくて、さみしくて、ネットの海に飛び込んだ。顔も名前も知らない、そんな相手とのゲームの共有を楽しんだ。ゲームを好きなら誰でもよかった。おかげで今でもゲーム仲間はいて、ゲームを嫌いにならずにいる。呪いなのかとも思った。でも、それでも、ゲームが好きだった。

 

だからこそ、そうやって想い出深いからこそ、時のオカリナをクリアして、その最後のセピア色のゲーム画面を見た途端、 ああこの画面を妹と一緒に見たなあ、これがずっと見たかったんだなと思い出せてしまった。果てしなかったけれどどうにか7年かけて一人でも辿り着けてしまったし、時のオカリナのストーリー、システム性、BGMどれを取っても歴史的神ゲーであるということがゲーマーとしての視点からは分析できてしまったけど、それよりずっとずっと色濃く妹の想い出が浮かび上がって来たことに、私は何よりも驚いた。

 

名作ゲームってなんだろう。

グラフィックが綺麗だとか、BGMがいいとか、ストーリーが良いとか、やり込み要素が多いとか色々あるし、たった30年ぽっちのファミコンからのゲームの歴史としていくつも確立している。小説とか映画とか遠く昔から語り継がれて来た娯楽作品とは違って、ゲームの歴史は浅くて短い。それでも、ゲームが愛され続けるのは、こうやって想い出としてつよく遺るからなんだと思う。

妹と話したオカリナの美しい旋律、白熱したエポナレース、闇の神殿の船の動かし方、代わりばんこにやった流鏑馬イベント、ガノン城から逃げ出す二人、最後のセピア色のクリア画面。そのどれもが、0と1のデータでしかないのに、そこに付与された想い出はどれも本物で、フィクションの世界の中に確かに色付けられていく。

小説だって漫画だって映画だって想いを抱いてなんぼなんだけど、それでもゲームだけは、物語が進むとともに感情が溢れ出して、想い出をもってしてゲームが完成されるのが、美しくて、好きで好きでたまらない。

名作ゲームってそういうことじゃないかなって思った。時のオカリナ、すごくすごく難しいゲームだけど、だからこそ、その中で悩んで苦しんで戯けた中で、自分だけの思い出ができていく。だから自分はゲームを愛しているし、人にゲームを勧めるときは、「このゲームであなたに感じて欲しいことがあるから」と願ってお勧めしている。

 

ゲームを嫌いにならなくて良かった。ゲームがあったから妹の想い出はゲームに生き続けているし、私は生きていられる。もしも生きていたら、未だに変わらず二人で楽しんでゲームできてたとは思うんだけどね。あなたは絵を描くのもうまかったから多分二人して楽しく絵を描きながらゲームをやり続けていられたと思うんだけど。

ゲームが楽しいから生きるのは楽しいし、残念ながら、あなたが死んだ後もめっちゃ面白いゲームばかりでてるからな!参ったか!一緒にやりたかったよ!

一緒にできないのは残念だけど、だからこそ自分はゲームをやり続けていくし、周りの人と確かに生きていきたいと思うよ。ごめんね。どうか、よろしくね。許して。

時のオカリナ、確かに名作だった。

こんなゲームがクリアできたあなたはやっぱり私なんかよりすごくて賢くて最高の妹だったよ。

ありがとね。

感謝感激雨あられは地に吸い込まれていくけど、どうか芽を出してくれないか。

あけましておめでとうございます。

去年一年を振り返ると、目の前に現れたたった一人の問題解決のために、どうにか伝えようとしたくて、こんなにも他人のことを想えるのかってくらいずっと考えていたら、いつのまにか五年ほど抱えて蔓延っていた自殺願望がなくなってしまって「生きるのって楽しいね」と思えたことが、2016年、自分の中で最大の出来事だった。

2016年のどころか、2011年の元日に「ああなるべくはやく死にたい!!」と思った時に次ぐ、人生二番目の衝撃でした。

だからこそ、ここでもう諦めなければいけないのかもしれないなんて、弱気が顔を出す。

これがもしも物語なら「ありがとう!私はあなたのおかげで生きたいと思えた!変わることができた!」「そうか。俺だってお前に向き合えたから良かった。これからもよろしくな」みたいな話になるのかもしれないが、対象には「あっそう」くらいで済まされてしまうようなそんな感じである。ここは悲しかや現実。

それでも、感謝を伝え続けたら何か変わるんじゃないかなあって気持ちをずるずる未だに引きずってる。でも「ありがとう」って伝えたいそれだけなのにどんどん自分がすり減っていくのを感じる。

 

そもそも前提として、上手く伝えられてないのかもしれない。今も仲がいいのかが全くわからないし、友達どころか、このまま、縁が切れて積み重ねてきたものが全てなくなってしまうような感覚すらある。向こうが断ち切ってるのか、なんなのかよくわからないけど、当たり前の明日が継続していかないような、ぞわりとした感覚が、目の前で本人は笑っているのに、私の背後に迫ってきている。急に目の前から行方をくらませてしまうような儚さとか、上手くいかなかったら人間関係全部切ればいいや、いらないや、みたいな、適当で無責任な投げやりさをこっちは受け取るし、きっとこれを感じているのは自分だけではないと思う。だから君の生き方は周りの大体の人間にちゃんと理解はされてるんだと思う。納得されているかはともかく。

その癖に「またいつでも機会はあるからそのうち遊ぼう」と言うのだ。本気でその機会を作る気もないのに。嘘ではないんだとは思うけど、そこまで、じゃないんだと思う。

そのいつでもって、一体いつのことなんだろう。今ならそんなに苦労しなくても訪れる当たり前の明日が存在するかすらも、自分はとても不確かだと思うのに、どうして乱暴に未来を信じられるのか。

口だけ動かして巧みにその場を誤魔化して、その度に叶わなかった約束や未来を、忘れているのか忘れたふりをしているのか、なかったかのように切り捨てている。だから、私だけがそれを覚えている。

 

だから忘れて欲しくないよ、どうにか大切にしてよと思いながら感謝を伝えたいとは思っている。でも、どうして途轍もなく遠くて届かないような気がするんだろう。純粋なありがとうより、責める気持ちを大声で言ってしまうからだろうか。

いや、ほんとは伝わってるのかもしれない。

そういえば遠い昔に「もうそんなことはわかってるよ。なんでお前は俺がわかったことをわかってくれないのかなあ」って言っていたのを思い出した。

きっと、フィードバックが自分の望んだ形でこないから、こっちが満足してないだけなんだろう。感謝するってことも「私が変われたから、あなたもこちらにきませんか」ってそう言う下心と目的がずっとずっとあるんだ。

そして、きっと私の「変わって欲しい」って想いをわかった上で「変わらない」という選択を選んでるんだと思う。

わかってくれたって意味がない。行動が伴わないから確信にならない。変わって欲しい。でもわかってよって言ったって、変わってくれるとも思わないから、とにかくありがとうを伝えてる。

遠回りすぎるから、やっぱり本気で「わかってほしいよ」ってしっかり言った方がいいのかもしれない。今ここに打ってて、またどうせわかってくれないから意味がないって諦めて日和ってるなと、自分でも思った。

 

一つ目、人との関わりを諦めて欲しくない。

二つ目、死ぬために生きて欲しくない。

私があなたに望むのはその二つだけだし、これらは、まだたった一年前には私が人生において完全に諦めきってたものだった。

私も大層な人間じゃないからあいつに対して神様ぶってるのかもなって思うし、あいつは何一つ今に不自由してないんだから勝手に哀れむこと自体が失礼なんじゃないかって思うけど、そんなこと言ったら一年前の自分も「自分が人生に不自由している」だなんて露にも思っていなかった。

 「こうやって自分は一生大切な人も作れずに呪われて死んでいくのだ」そういう決めつけと生き方は、私の芯であり、変えるとか、救われるとか、そういう類のものではなかった。

「そういう人生」だから。そういうものだから「仕方がない」と。

自分で自分にかけた呪いだから、結局解くのは自分でしかない。私は呪いが勝手に解けたのではなくて、呪いを解いた方がずっとずっと楽に生きられるということに気付いただけだった。だから解いた。

変えようと思って変わったわけじゃない。私のトリガーは、側にいたバカみたいなあったかい友達と、自分より酷く生き方を狭めることを拗らせた君のような友達の、両方の存在だった。

直接私の自殺願望を打ち消すトリガーを引いたのは、私の側にいた二人の友達だけど、二人が大切だということに気付けたのは、私を拒絶する君のような酷い友達と、どうしたらもっと仲良くなれるのだろう。どうしたら他人を信じて大切にして生きてくれるのだろう。そしてその存在が私になればいいのに、ということを願って望んで考えていたからだった。

目の前の奴をどうこうするより、まずは自分がこの世の全てを信じていないじゃないかということに気付いて、だから側にいてくれた二人の友達なら信じられるし信じたいと思った。まずは我が振り直せということで、人を信じるにはどうしたらいいのか。どうしたら振り向いてくれるのだろう、ということをずっと考えていた。だから、君から頼られたかった。

無い袖は振れない。頼られ続けることも違うと思った。そうやって試行錯誤を続けて、ここまできて、ちょっとだけど、前より胸を張れるところまでは来れた気がする。何より君に進言できるようになった。

 

43歳で死にたいと言った君に対して、本当にあの時は私も、27歳で死にたいと心から思っていたから、親近感を持ってめちゃくちゃ嬉しかった。わかるんだ。わかったつもりなのかもしれないけど。君を見てると幼くて大人ぶってた投げやりで、毎日死に向かって適当にやり過ごしてきた五年間の自分を思い出す。遠い目標だけは一丁前に立てていて。やりたいことはあった。それを果たしたら27歳で死んでもいいと思っていた。

43歳で死ぬというのが冗談なのは知ってるけど、こんなまだ若いのに仮定だとしても死について決めつけのように考えが及んでいること自体が悲しいし、悔しい。27歳で死にたいと同じように冗談で笑っていた私は、そこから逆算して未来なんて何ひとつ見えてなかった。今が良ければいいと、昨日のことを全部忘れて、明日のことも考えられずに、ただ短略的で投げやりな瞬間の繰り返しの日々しか送ってきてなかった。

「どうせ人生は27歳までしかないから、本当にこの瞬間だけ楽しければいいんだ」

ねえ、だから、あんなにも軽い人間関係しか築かないのだろうか。どうせ自分のことなんて誰も気にしてないし、都合が悪くなれば切り捨てればいいって。自分のことを誰も気にしてないように感じるのは、自分が誰も必要としてないからなのだろうか。今ここに問い掛けている言葉は全部全部、たった一年前までずっと私が思ってきたことだ。

 

あと、自分を投げ捨ててまでかけられてしまう家族愛についても、自分の日常をおざなりにしてまで、尽くせる対象がいることがずっと羨ましかったし憧れてたから、肯定も否定も渦巻いて結局、何も言えなかった。

血縁という絶対的な愛と保障は、死んでも断ち切れない揺るがないものだし、理由にしちゃえばずっと側にいられて、そしてなんにせよ絶対的に裏切らない、のかもしれない。そんなの案外当たり前じゃないんだけどね。私の家族愛も絶対的に信じられるものだった。血の繋がらない夫婦の亀裂を真近で見てるからこそ、より血に縋りたくのなるのかな。

骨髄移植でマジの物理的な意味で、血を分け与えた姉妹ということが、私の中ではずっと誇りで標で縋って固執した事実だった。血をあげることに全く迷いがなかったから、家族に対してなら自分を犠牲にすることは厭わないのは自分もできるし、わかってしまうような気がする。

嬉しかった。私に妹はもういないけど、私が死んだ妹にかける執着の一端を、それこそ君も、わかってしまったのだと思う。

私は君に対して「もしも妹が生きていたら」と可能性として考えて、君は私に対して「もしも兄妹が死んでしまったら」ということをお互いに見出していたんだと思うし、だから私の事情と妹の死に敬意を払うことは当たり前だ、と言い切ってくれることが本当に嬉しかった。それは全然当たり前でも普通なことでもないよ。少しも逡巡しなかったのは、君が初めてだった。

 

同情、みたいなチンケな感情から始まってはいたけど、きっと本質的に私と君は似ていて、君の考えてることがわかってしまうような気がするのは仕方のないことなのだと思う。境遇とか考えてきたことは、ある程度似通ってるのに、決定的なところが違えてる。そこが、未来への生き方なんだと思う。

私は愛するからこそ強く生きたいと思うけど、君は愛するからこそ傷付きたくないのだと思う。私も、かつては誰よりも傷付きたくなかったし全部終わらせてしまいたかった。

似てるからって、あなたのことがわかるよって、傷を舐め合って生きていきたいわけじゃない。

確かに君のおかげで私は本当に色々なことに気付けた。その多くは反面教師だったと思うし、私がなくしちゃったものとか通ってきた道とか全部抱えたまま無理矢理大人になろうとして目の前で笑ってたから、こんな風になりたいと思うと同時に、こうはなれないと思った。そして、なりたくないとも思った。

尊敬から始まった感情も、心配とか憤りとか妬みとかやり切れなさとかを通り越して、感謝に昇華してしまった。欲はあるよ。それでも今思うのは、ただありがとうって気持ちでしかない。ねえ、やっぱり、ありがとうの本当の意味が何一つわかってないよ。わかってよ。わかって欲しいよ。私のありがとうの意味が伝わった時、多分もっと生きやすくて望んだ道を選択していけるはずなのに。いつ見ても生き辛そうで逝き急いでて、面倒臭いことが嫌いなはずなのに一番面倒で厄介な道ばかり通り続けてる。

君は私のこと振り返ってもくれないけど、同じように、私は君がいなくても生きていけるのだ。この一年間で君から貰ったもの、見出したもの全部抱えて、めちゃくちゃ幸せに満たされた人生を送れるんだと思う。「君がいなくちゃ生きていけない」なんて縋るような絶対無二の愛を叫ぶような気持ちにはならない。

それでも君と生きてみたい。

私がなくしちゃった大切なものを後生大切にしてる君のことがどこまでも眩しくて羨ましい。

できることなら出来る限りそばで。それが叶わないなら近くでいいから。少なくともどうか目の前からいなくならないで。私のことどうか切り捨てないでほしい。今はそれをただ望んでる。

 

君に似てる頑固な私なんかでも、人生にこうやって生きる希望を見出せたから、どうか気付けるなら、なるべく早いうちに気付いてよ。気付こうとしようよ。

やめてくれ、と言われたらやめられると思った。去年の五月からそういう根比べの始まりだったから。だから自分で諦めようと決断したら諦められると思っていた。だからとりあえず半年やって無理そうだからって、この数ヶ月ずっと、諦めるための心の準備と理由を探し続けていた。

やめたくない。ここでやめたら負けた気しかしない。やめろと言わないのは知ってるけど、その契約が破られてやめろと言われても、もうやめない気がする。

やめられないんじゃない。やめてはいけないと思う。どうしても悔いしか残らない。やっての後悔とやらずの後悔なら、迷わずやっての後悔しか選ばないんだけど、散々やってきたはずなのに今ここでやめたら、やらずの後悔しか残らない。

何をしたらいいんだろう。多分きっとここで書いたことを全部言うとかそういう、全力のこと。

このまま行方を眩まされたら、一生後悔する。ターニングポイントに今立ってる気がする。そういう、2017年の始まりだ。

公開するかちょっと悩みました。こんな感じでごめんなさい。どこまで続くかわからない自転車操業、今年もよろしくお願いします。

 

クリスマスの呪い

クリスマスと年末年始が、大嫌いだ。

今年も例外じゃなく、全くといいほど眠れなくなり立ち上がれないほど具合が悪くなって、気圧のせいにしてたんだけど、そういやいつものこの時期だったなと思い至った。そりゃあ仕方がないなと。

去年も一昨年もそれこそ2012年からの手記がそれこそ残ってたんだけど、例外なく毎年ご丁寧にクリスマスと年末年始を呪っていたから、何も変わってないんだなと逆に安心してしまった。

根本的には大丈夫になったはずではあるけど、この時期は全くと言っていいほど大丈夫じゃないし、昔に元通りだし、今、自分のことを一番信用できてないし、このまま新しい年を迎えても以前みたいに世界を呪って過ごすままだったらどうしようって思っている。

せめてイェーイぼっちクリスマスだぜって自虐で笑えたらいいのだが、そこまで自分を痛めつけられないし、事情を知ってる友達を微妙な顔にさせるだけだし、世間が、身近だと友達が、それこそハッピークリスマスハッピーニューイヤーと言っているときに水を差すようなこともしたくないし、結局布団でくるまってることしかできない。楽しく過ごそうと思えば思うほど、楽しかった還らない昔がどうしてもちらつく。

呪いが解けたらいいねって言われた。忘れなくてもいいからいつか解けたらなあと言われてそうだなあと思う。解けて欲しいと試行錯誤は繰り返すけどやっぱりどうしても喪に伏して立ち上がれなくなる。

上書きはできないことをこの5回で学んだ。15回繰り返された幸せなクリスマスと年始年末の想い出があるだけどうしようもなく辛い。失われたこの時間を追憶するたび、このままじゃダメだ、新しい思い出を作らなきゃと必死で上書きしようとするたび余計寂しくなっていくような気がする。

同じように家族で過ごしてもダメで、予定で忙殺してもダメで、一人で過ごしてもダメで、友達とバカ騒ぎしてもうまくいかなかった。足りない。呪いを解くにはどうしても足りない。そのくらいクリスマスと年末年始はあまりにも幸せすぎたしあまりにも辛すぎた。大好きだったから大嫌いになった。好きと嫌いはやっぱり裏表なのだとわかった。

世界の誰にも必要とされてない気がしてしまうが、それはきっと自分がこの世界の誰も必要としてないからなんだろうなあと思う。この時期だけはどうしても。

わがままを通してもいいから、この時期は一人じゃダメなのわかってるから、それこそ大義名分同情を盾にしてでも好きな人には大丈夫ではないことを知っていて欲しいと思った。その上で大丈夫だよって嘘ついて強がって笑いたいと思った。それこそ本当に口実だなんてずるいな自分って思ったけど、そういうことばかり気にして結局抱え込んで死にかけてるところも6年前から何一つ変わってないような気がする。

日付なんて気にしてなくて、意識の外にあったはずなのに22日も23日もそしてクリスマスイブも当たり前のように夢を見た。何もないまま6年前のクリスマスの延長線上みたいな幸せな夢を。手を握って一緒に眠る夢を。

そんなに大層なことを願ってない気はずっとしてる。眠る前、二段ベッドに各々靴下を吊るして、朝起きたとき互いを起こして二人でプレゼントを開けて、早朝の6時から下に降りてゲームをするだけだよ。それこそサンタクロースの正体が朝から早すぎるよって笑いながら降りてきて、知らない私たちはサンタさんありがとうって言いながら一心不乱にゲームするだけだよ。

あの子はきっと、サンタクロースの正体を知らないままだった。

そして私も未だにクリスマスにはそんな朝を迎えたいだけだから、特に難しいことを願ってないような気もする。そんな当たり前が何よりも難しいことを、クリスマスが来るたびずっとずっと思い知ってしまって、そして辛くて少しも動けなくなる。身体もそして想いも。

あけましておめでとう。今年もよろしくね。

そんな当たり前の常套句が、言えなくなってしまうことが怖くて仕方がない。そんなこと言ったらキリがないんだけど特にあけましておめでとう、には未だにぞっとしてしまう。新年の挨拶のたびにそんなことを感じる。まだ呪いは解けない。

 

最近、不確定な約束が苦手だということを知った。

また明日ね。また今度ね。そのうち遊ぼう。

それが一生、来ないかもしれなくて怖くなった。信じてた当たり前が案外簡単に崩れ去ることを思い出した。どうしてそんな簡単にずっと当たり前のように仲良くいられることを信じられるのだろう。

それとも、その「またね」が来なくてもどうでもいいくらい私とみんなはそんなに仲良くないのかもしれない。もう約束したことすら忘れられてるのかもしれない。私ばかりが覚えてて、気にして。こんな時にだけいらないことばかり覚えてしまう。

人の縁を大切にしたいと思ってる。だからこそ、不確定じゃなくてちゃんと繋いでいきたい。いつ消えたって後悔しないように。とりあえず今を大切にしたい。

だから呪いを解きたい。

今年もまた解けないまま、今年が終わろうとしている。

雪に溺れる

朝、起きたら、雪が降り続けていた。

二年前にこっちに来た時は大雪が降ったし、去年もある日、大雪が降った。あれが異常なだけで、こっちでは全く雪なんて降らないと思っていた。

日本にいる限り、思ったより雪は降るのだということを北海道を出てから初めて知った。雪から逃げるには、もっともっと南に逃げないとならないみたいだ。

はらっても落ちない雪をしっとりと身体に染み込せながら、どうしようもなく久しぶりに心が重たくて冷たくて痛くなっている。

 

冬の空気は好きだけど、降る雪は嫌いだ。

凜とした澄んだ空気が好きで、どうやら自分は寒さには強いみたいで、冷気に頬を叩かれたように、気分がしゃんとする。それは雪がちょっと積もっているから、そこから発される冷気が産み出す瑞々しさであって、そんな日は空が、美しく、青く赤く黒く綺麗に色を引き、月も星も白く瞬く。集中力が切れたり、考え事をしたりするとき、窓を開けて空を眺めたり、外に出て星を見たりするのが、北海道に住んでいたときは、とても好きだった。

 

雪が降ると音が無くなる。

何かを持っていってしまうように、雪がすべてを覆い隠してしまうかのように、白だからなんかまるでそれが綺麗で潔白なものであると、わざわさ主張するみたいに、そうやって、目の前からすべてを更地にして奪っていく。だから未だに苦しさと息苦しさを感じてしまう。まるで雪に溺れてしまうみたいだ。

 

あの冬は、雪が積もらなかったのだ。彼女が死ぬまで。

彼女を攫って逝ってしまった雪ごと、どこかで自分はあの白い世界を置いて、生きたがっている。

雪が降るのを見ると、埋められたことを思い出す。奪われたことを思い出す。

 

降った雪に意味が生まれればいい。空から降る雪そのものが美しいと思えて、価値があると思えて、涙を流せちゃうくらい、感動すればいい。埋め尽くして奪う雪だなんて思わないくらい美しい想い出でどうか上書きをしたい。

でもこんなに胸がちぎれるほどしんどくても、空から降る雪は綺麗だなと思う。哀しいものは美しく見えるようにできているのかもしれない。

 

世界で一番大切な人が死んでも世界が回り続けることを知った。世界の終わりを白にみて、全てがもう終わってしまったと思ったけど、それでも終わりは新たな始まりになれると、今は信じてる。

死を雪が埋めてくれた。その白い地平線に終わりじゃなくて始まりを見たい。だから、逃げたいとは思ってても、やっぱり向き合うことをやめたくないんだと思った。このままにしたくない。掘り返さなくていいから、どうかこの白い世界に色をつけて、幸せになって、春を待っていたい。

来週とりあえず帰るから、待っていてください、各位。めずらしく気分は暗いよ。

選択肢をあたえて!

人に何かを伝えようとするときは、話し言葉より書き言葉の方が得意だ。

どうしてなんだろうと、ずっと思っていた。相手の反応がなくて済むからとか、言葉の方が一度整理できるからなのかということか、適当な理由を考えていたけど、結局、原因が見つからなくて、人に自分のことを伝えて話すことに、口下手なんだという言い訳を添えて、苦手意識を持っていた。

 

気が付けば、簡単な話だった。

自分は、相手に対して、「あなたの考えに対して私はこう思っている」ということを伝えられないし、伝えようとするという意志そのものが全く存在していなかったということだった。

 

そんな馬鹿な話があるか!?と疑ってみたものの、確かに自分の幼少期からの全てを思い出してみても「人に対して助言をして選択肢を提示する」ということをした記憶が一切存在していない。ひとつも。それこそ母や父に対しても、妹に対しても、幼馴染に対しても、中学時代に頼った友達や高校の親友や大学の友達にも、大好きな人や大嫌いな人に対しても。誰一人思い浮かばなかった。

 

自分の意見はしっかり言えることは知っていた。昔から劇の主役や委員会の立候補はできたし、進路についても自己決定ができていた。人よりも思い切りがよく、決断力と判断力は長けていると思う。そのための経験則や知識もある。あと分析力も。組織としてどうやったらうまく回るかとか、この人はこういう人だということを理解しようとする力とか。

ただ、その意見を言う対象が人に、人の意思と選択に向いたとき、自分の意見は掻き消えて、私の意志はどこかに行ってしまう。人に対して何かが、言えない。

 

あらん限りの暴言で人を本気で傷付けた。「選択しろと言っておいて選択肢を提示しないなんて無責任だ」と言われて初めて気づいた。そして6月頃に「お前はお前のことをわかっていない」と言われた意味がようやくわかった……。

無責任なつもりはなかった。人に意見を言ってそれが間違っていることが怖くて、私の保身のために逃げや諦めがあるわけでもなかった。

私は他人の自己決定を大切にしたくて、相手がそう思うのなら、それが一番に大切なことだということを何よりも大切にしたかっただけだった。相手のことが多分、人よりもわかるから、相手が今どういう状況に置かれていて何をしたいのかが大体分析できてしまうから、じゃあその通りに生きて欲しい、と人に対して、ただ、願っていただけだった。

 

暗闇の中に人が立っていて迷っている、そういう例えを友達からされました。

普通の人なら、明かりを持って「こっちにきてみたらどう?きてもこなくてもどっちでもいいよ」という選択肢を提示して、それを選ばせるかどうかが自己選択だよって。それか横に立って、「一緒に考えていこう」というのが養育の立場なんだと思う、と。

「こうすべきだ!!!!!」と思いすぎる人は、その人の手を引っ張って引きずっちゃうんだろうな。それはそれで、うまく転ぶこともあるけど結局、本人は自己選択できていないかもしれない。

じゃあ、私がやっていたことは何かっていうと、その暗闇の中にいる人を水晶の中に閉じ込めて外から見て「さあ、自分で暗闇の中から答えを見つけてみたら!君の望んだところに行ってごらん!自己選択が大切だ!!!!でもその選択肢は与えません!!!自分で見つけてください!!!!!!」ってことだ、ということを言われて、目から鱗だったし、その通りだと思った。

相手の自己意思を大切にした結果、介入と私の自己意思がかき消えて、相手に対して一番して欲しいことが「自分の好きな選択をしなさい」ってことになっていた。

暗闇の中の道標もない相手に、探して選べという。

だから相手のことを考えてるのに何がしたいのかわからないってことになるし、無責任に映ったんだと分かった。

 

なんでこんなに人の自己意思を大切にしすぎてしまうのか、それはきっと私がずっと暗闇の中にいたからなのかもしれないなあと。私は運良く暗闇の中で答えを自力で見つけられてしまった。そういう意味で私は強いのかもしれないし、偶然運がよかっただけなのかもしれない。だから人も自己選択すべきだと。私が強要していたのは自己選択じゃなくて、選択肢そのものから創り出して見つけろっていうことだった。そして私は、それができちゃっていたし、そうやって生きることで一番後悔しない生き方ができていると思っている。

 

あとこれは、多分直接の原因だと思うけれど、私は両親から、人生の大きな局面において選択肢を与えられたことがなかった。

「あなたの望むことをしなさい。あなたのやりたいこと、そのためならば何でも助けてあげる。」

本当に全ての私のやりたいことに対して反対されたこともなかったし、全力で応援してくれた。だから私は、私のやりたいことができたし、ほんっとに恵まれている。でもその分、何かをしなさいと強要されたこともなかったと思う。「勉強しなさい」とも言われたことがなかった。

私にはちゃんと今生きていて、生きる為の判断力があってしっかり生きやすい道を選べたからいいけれど、それこそ引きこもっていてもそのこと自体を責められることはなかった気がする。

だから私は強いのだと思うけれど、強すぎるから人は自己選択、いや、自分で選択肢から見つけ出すことを、知らず知らずのうちに人にも望んでいたのだと思う。

恵まれた環境じゃなくて視野の狭い人間に対して、自分の望むように生きなさいっていったってそりゃ暗闇の中から抜け出せるわけがない。

 

私、きっと人一倍感受性が強くて、人の気持ちもわかって、それこそ人がどうしたら一番傷付くかわかってそういうことできちゃうのに、人を導くためにこの判断力を使ったことなんて、この人生の中で一度もなかった。

 

私の大好きなゲームを思い出した。

最後の戦いで主人公はラスボスから選択肢を与えられる。ずっと信じてきた世界は全てまぼろしで、このまま自分の罪に対して見ないふりをして傷付かない永遠に続く幸せを選ぶか、それとも目覚めて自分の罪に向き合うのか。希望の停滞か、絶望の断罪か。

主人公は断罪を選んだが、絶望を選ばなかった。とにかく前に進んで定まらない未来を創って、その中に希望を見出すと言った。

 

選択肢がある中で、その選択を選ばないことにも意味があるのだと思った。

二つの選択肢があって、どちらかを選んだからって必ず全てのものがどちらかになるわけじゃない。二つから少しずつ取る選択もあるし、両方選んだり、選ばなかったりする選択もある。

どちらかに決めつけない、その為の道標としてもある程度の選択肢は必要であって、私は、その為の材料作りばかりしてそれだけを与えて、選択肢までを与えられなかったのだ。選ばれないことが怖いとかそういう臆病さじゃなくて、本当の意味でそれが本人の為になると本気で信じて……。

 

無意識の経験則。私が一番怖いと言ってたものじゃないか。誰よりもそれに縛られて身動きが取れなくなって苦しんでいたのは。

 

私の考え方の全てが悪かったとも思わない。人の意見を聞いてそれに意見せずただただ受容するその献身的態度が、私に与えてきた恩恵もたくさんあったと思う。だから私は家族に、友達に恵まれて、愛されてこうやって生きてこれたと思う。

ただ私が、この先このまま望む職業を選ぶときに、そして大切な友達に関わり続けたいと思う時、もっと仲良くなりたいと思っている、今。

どうしても人に伝えたいことを伝えなくてはならない時に、私は、やっぱり自分の気持ちを自分の言葉で伝えなくてはならない。

 

その発想と方法を知らなかっただけで、道標となるだけの判断力と分析力はたくさんあるはずなんだ。あとは伝え方。神様ぶらない。

 

私が、何かがおかしいと思っている時、人に対して納得できないことがある時、やっぱりそれは私の言葉であなたに伝えなくてはならないのだと思う。伝えたいと思った。伝えていいんだ。伝えなきゃならないんだ。

 

今まで人と話してうまく言葉が紡げなかった。それは、きっと相手の気持ちを受け止めてそれが相手にとってどういう意味をなすのか分析するのに時間がかかって、それで理解できたところで結局相手が今どうしたいかわかるだけで。私は、自分の意見を言おうとする発想がなかったから、そのまま私の気持ちを、私が一番頑張って殺していたのだ。それが相手の為になると本気で信じていたから。

 

選んでほしいと思って伝えたい。それが私の本当の意味での、心からの自信になれたらいい。

話すことが上手になりたい。

自分のものさしをつくれたとき、私は、あなたたちにもう一度話がしたい。

 

私は私に対して正直でありたい。

私は、私に対して正直でありたい。

他人には嘘を吐くこともあるし、割とだらしなくて適当なところもあるけれど、私は、私に対してだけは、嘘を吐かずにいたいし適当ではありたくないし逃げたくないと思っている。

 

強すぎるよ、と言われました。

「出来る限り失敗したくもないし、傷付きたくないし、だから今のままで幸せだし、もしこの先に幸せがあるのならば、それでも停滞を選び取りたい。一度失敗して痛かった。だからもう痛いのは嫌だ。怖いよ。」

私は再三言ってきているけれど、可能性を未来永劫捨て続けることの方が怖くて仕方がないんですよね。めちゃくちゃ傷付いてるけど、ここでやめたってまだ、私のやりたいことが何一つできてない。私が納得してない。まだ、何も伝わってない。こんなにやっても叶わないかもしれないし無意味かもしれないし怖いけれど、それでも返ってくる可能性があるならやっぱり挑戦し続けたい。というか実際返ってきてるんだ。疲れたらすぐにやめればいいから。私の挑戦にそんな意味も重みもない。これは私のわがままでしかない。人に押し付ける気もないし、私の生き方だ。

自分に正直でありたいと思ってるだけだから、自信なんてないんです。間違ってても正しくなくてもいいから、私は私がやりたいことをやる。そうやって生きてます。

 

だから、好きな人には何回だって好きだというし、嫌いな人にも嫌いだって言う。

好きな人を馬鹿にされたら怒るし、報復されることも覚悟する。考えているから、人を傷つける方法が何よりもわかってて必要だと思ったら迷わず刃を振るう。

私は私のためには生きられないけど、人が好きなので大切な人を馬鹿にされたら素直に怒りたいし、ちゃんと私が傷付いたって言いたい。

 

「そのうち時間が解決してくれる」って言葉が最高に嫌いで、私はどんな痛みも傷も時間が経つことだけで勝手に解決することはないと思っています。長い時間しっかりと向き合い続けた上で、時間がかかるけれど解決することはあっても、ただ放置することで傷を見ないことにするのは逃げでしかなくて、根本的な解決には至らないんだろうなと思います。傷に酔って生きるのは楽かもしれないけど、やっぱり痛くて、辛くて、みんな私のことを強いというけれど、全てのことから逃げ続けて、指一本動かせなかったあの時期よりは立ち向かう方がずっとマシで生産性があるから、戦っているだけであって。

 

「楽だ」ということを「幸せだ」と思いたくない。これは私の尊敬する人の受け売りです。

人は変わりたがらないし、楽を選びがち。
ときに「幸せ=楽」と幸せの定義が「楽」のときがある。
それでいいのなら いいのだけれど、私はそれを選ぶなら、現状を嘆く権利はないと思っています。(そんなふうに指摘したり、追い詰めたりしないけれど。)
なぜなら、「楽を選ぶということは、現状を維持しようとすること」だからです。
人は、たとえいい変化だとしても、「今とは変わる」のは確かだから、変わりたがらない。
問題は、選択の意味を自覚していないこと。
変化をしない選択をしておきながら変化を求めるという、訳のわからない状況によく人はなる。
「変わらないだって?そりゃそうですよ。」ということがよくあるもの。

そして、この「楽」が厄介。それは「穏やか」とか「幸せ」とか「平和」とかは意味しない。

この「楽」は「まだまし 」ということ。

いくら苦しい状況にいても、「もっとひどい目にあうよりはまし」という点では、楽になり得るからね。

苦しいと言っても、昨日と同じように苦しいのであって、適切な表現かはわからないけれど「慣れ親しんだもの」となってしまう。本当に厄介だ。人は慣れる生き物。だから、「飽きる」もあるのだけれど。

この手の「楽」を求めるときは、心に怯えがあります。自分を守ろうと必死なのだと思います。大切なのは、その気持ちに寄り添うことと思っています。怯えた人に、守らなくていいよと伝えたって、きびしい。寄り添うことで、味方ができます。

一人でできないことも二人ならできるかもしれない。

改めてメールを読み返してみて、やっぱり自分は自分に正直であり過ぎるから、「楽」を間違いだと大声で言いがちなのかもしれません。神様ぶりたくなんてなかったのに。思い出したい。神様ぶらないための方法をやっぱり模索したい。力になりたいし、寄り添いたいと思っている。あなたを大切だと心から思っているから。

私も「楽」を選んでいた時期があったから。でもやっぱり飽きたんです。それは強さでも何でもなくて、ただ私は楽を選び続けられるほど、強くなかったんです。痛かった。本当に苦しかった。

 

自分を誤魔化しながらなんて生きたくない。どんなに先になってもいいから、傷付くことを恐れないで。上手い転び方を見つけて欲しいなって思った。私は転ぶのが大分上手くなってきたから。転ぶのが怖いなら一緒に転ぼう。血が出たら止めてあげる。

私は、心からとっても嬉しかったんです。必要とされてる気がしたから。私が、私のこと世界で一番いらないと思ってた時期があったから。人と人との間に生きられて、こうやって頼られて。

だから、私は私と関わってくれる人を全員愛したいし、この恩を返したい。

そうやって生きているし、この先も生きていたいと思っているから、何ができるかを考え続けるし、やれることはやっていくよ。

私には直接は救えないかもしれないけど、何かしらほんの少しでも力になれたらいいな。それだけで私が救われるから。

絵を描くということ

絵を描くことが好きです。自分にとって絵を描くことはどういうことなんだろう。

自分は表現者なのでしょうか。

かつてそう思ったこともあり、何かを形にしないと生きていけないと決め付けていたこと(発掘!私小説 - 人間蘇生だモラトリアム)はありました。

 

哀しみを原動力として作り出せるものはあると思います。そしてそれはとても美しいのかもしれない。でもそれはきっと、哀しみにどこまでも向き合って見つめて形にすることなので、多分哀悼することより、ずっとずっとより辛いことです。

以前ゴッホの例え(愛はひかる - 人間蘇生だモラトリアム)を出しましたが、ピカソにも、青の時代という親友を亡くしてただただ暗い絵を描き続けていた時期があるので、そういう負の感情を乗せて大成した画家もいます。

ただただ昔は描くことが好きだった。そのうち、人に何かを伝えたいと思うときに絵というツールを知らず知らずのうちに選んでいたんです。友達への誕生日プレゼントに絵を描いたり、生徒会のみんなに絵を描いたり。そして、世界で一番大切な人の永遠の最期の別れに、大好きだという想いを伝えたいと思ったときに、その手段に、絵を選択したんですよね。生前の彼女との交換日記にも、たくさんの絵を描きました。そういやあれ引き出しの中かな。絵が拙くて恥ずかしくて見返せてなかった気もする。

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そこから、感情を絵に乗せて表現することが得意になりました。画力が向上したのもありますし、ごちゃごちや理論的に考えたことを絵として乗せることが楽しかった。根は理屈っぽいからなんでここにこの色を塗ったとか、こういう構図にしたのか当時の絵を見て、今でも全部答えられたりするんですよね。感情を乗せてるのに全然感覚では描いていない。

評価されるのはそれはそれで嬉しいけど、人の為には描いてなかったし、自分の考えたことが綺麗に形になるのが何よりも楽しかった。

それが評価のために、受験に受かるために、それこそ知らない誰かに必要とされる目的のために描き続けたとき、しかもその原動力が負の感情であり、表現したからって何も還ってくるわけじゃないと分かっていたことに気づいたときに描けなくなりました。

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特別上手くもないのに、描くことに縋ってそれが生きる意味だと思っていたから、当時「そんなに無理しないでやめて趣味でも描ければいいんじゃない?」と言われて、暴れてキレて荒れ狂ったのを覚えています。それでもやっぱり辛くて描けなくて、筆を置いたとき、それこそ自分よりずっと上手い友達に「無責任だけど描くことはやめないでほしい」とぽつりと言われたことを覚えています。

そしてやはり、やめられませんでした。

今は、深く考えずに描きたくなったとき、感情表現のために描き続けています。定期的に毒素を出すというか。悩んだときには絵を描く。するとなんかスッキリするんですよね。好きなゲームをやってそのクリアした熱い気持ちを絵にぶつけることが本当に好き。最近はずっと友達をモチーフにした絵を何枚も描き続けていますが、それでも自分の描く絵が少しずつ明るくなってきた気もします。

気持ちを形にしたとき客観性が生まれるし、私は何かを伝えるためというよりは、何かを吐き出すための絵を描いてるときが一番楽しいです。自分の悩みなり、やって楽しかったゲームなり、本当にキラキラして感情を閉じ込めておける気がする。忘れなくて済むし。

でも、絵はコミュニケーションの手段にもなり得ると思うし、伝えるための絵を描くこともあります。こういうのはやっぱり武器としての絵なのかもしれない。この前も実習に行ったときに自分の描いた絵を通してコミュニケーションを図ることのできる場面が多くありました。

 

結局不特定多数に伝えるためのデザイン的な絵は描けなくて、目の前の誰かか、それか自分のためにしか絵が描けない。

生きる意味ではないし、そんなゴッホみたいに縋りたいわけでもないので、というかそれは辛かったから、趣味だし自己表現の一つなんだと思います。

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人に喋るとかこうやってブログに書くとかそういうのと同じ。それが自分にとっての絵を描くということ。