人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

また国道をはしりたい

「二車線の国道をまたぐようにかかる虹を 自分のものにしようとして カメラ向けた 光ってて大きくて 透けてる三色の虹に ピントがうまく合わずにやがて虹は消えた」

Mr.Childrenの「蘇生」いう曲の冒頭を聴くたび、故郷である北海道の畑景色でつくられた地平線の中を車で走っている様子が浮かびます。自分にとっては慣れ親しんだ風景です。この歌詞の通り、虹に遭遇することも稀にあって、実際に国道にかかる虹を見たのは二回です。一回目はインスタントカメラで収めていたはずなのに、後で現像したら消えていました。二回目は円状の虹が三つほど重なっていた記憶があります。覚えているのに、写真には残っていないから、やはりカメラに写らず消えてしまったのでしょうか。
ドライブでは、よくMr.Childrenが車中で掛かっていました。あとサザンオールスターズの「希望の轍」も車中歌の中では印象的で覚えています。どちらも爽やかではあるけれどどこか切ない曲という印象を今でも持ち合わせています。当時はカセットテープでテープをくるくる巻き戻しながら、どこまでも膨らんでいくような希望の歌を繰り返し響かせて、北海道の広大な大地をひたすら走ることが、本当に好きでした。自分のどこかのんびりとしたような達観したような感性も、そうやって築き上げられたのかなあとも考えています。

Mr.Childrenの「蘇生」については、初めてLIVEで聴いたときに泣いたくらい、彼らの中でも一番好きな曲です。ミスチルファンには伝わる内輪ネタなんですけど「overture」からの流れが定番だし、ここから繋がらないと「蘇生」じゃないんですよね。「overture」ってどういう意味なんだろうって今更調べたら、前奏曲というそのまんまで笑いました。
Mr.Childrenを通した個人の話になってしまうのですが、自分個人としては「365日」も印象的な曲です。またこれもミスチルファンにしか伝わらない話なのですが、今から何年か前のLIVEでは、全世界の数、に対するPVが毎回作られ流されてLIVEの定番となっていました。ここ最近のの LIVEではその理屈っぽい枠は「進化論」に移ったような気もしますけど。

「365日」は世界で一番大好きな彼女の葬式で流されたので、自分の中では特別な曲となっています。一人をただ想い続けるラブソングなのであまり離別には向いてないのですが、自分にとっては彼女への想いは、この歌だなあと彼女の遺体を見て聴きながら改めて思っていました。葬儀に参列した幼馴染が、ミスチル好きでもなんでもないのに繰り返し聴きすぎて終わる頃には、空でそれを口ずさんでいたのを今でも覚えています。
彼女の棺に、大切なものや思い入れのある品は何一つ入れませんでした。燃えて彼女と共に天に昇るなんて、そんなファンタジーなことはないから彼女の遺品はちゃんと手元に残した方がいいと。意固地になったのですが、彼女と共に灰になると考えたら、少しはそれなりなものか、もはや燃えないものを入れればよかったかもしれません。どうせ選りすぐって骨だけ取り分けて残りの灰は捨ててしまうことになっただろうけど。
遺体はずっとこわかったです。最早ひとでなく、ものみたいな重さとひややかさがこわくて、しっかりとは触れられませんでした。それでも、最後に冷たくなった彼女の頬にキスをして棺を閉じてさよならをしました。
「365日」を聴いても彼女のことは思い出さないのですが「蘇生」を聞くと思い出します。

「叶いもしない夢を見るのはもう止めることにしたんだから 今度はこの冴えない現実を夢みたいに塗り替えればいいさ そう思ってんだ 変えていくんだ きっと出来るんだ」

この部分がやっぱり今でもぐっさり刺さります。自分の叶いもしない夢は彼女の蘇生だなあとか、彼女と一緒に回った北海道の地平線の景色や見た虹がカラフルに蘇ってきます。こういうところ感傷的で我ながら少しだけロマンチストでクサくて笑ってしまいます。
自分は非常に理性的な人間だと思ってるんですが、それでもよくどうしようもない感情に振り回されることが多くて、そういうところは人間として、面白いなと気に入っています。合理性や損得勘定ということでは、どうしても間違ってると分かっているのに、損をしてでも傷付けられてもいいからどうしようもなく力になりたいと考えてしまって、ただただ献身的に尽くしてしまったり、相手と一緒に沈んで落ち込んでしまうこともよくあります。
友達に相談したら、よく言えばお人好し、悪く言えば馬鹿!って言われたのでそんなお人好し馬鹿な自分を愛していきたいと思っていますね。
自己肯定感は強くて、それはやっぱり家族に、友達に、そして彼女、に愛された事実が真実として根強く今の自分を支えているからだと思っています。亡くしたとしても初めから出逢わなければ今の自分は確実に存在していなくて、亡くした事実が起因して今に繋がっていると、信じているからです。もしかしたら人の痛みも知らなくてわからないような人間になっていたかもしれないし、辿ってきた道がどうであれ、そのことで何か変わること、活かせること、上手くいくことが、少しくらいはあるんじゃないかなあって、日々を生きています。無理しない程度に。

「今も心に虹があるんだ 何度でも何度でも 僕は生まれ変わっていける そうだ まだやりかけの未来がある」

改めてほんとクサくて馬鹿みたいに前向きな歌だなあと思います。「蘇生」。
いつか大好きな北海道を旅するのがずっと昔からの夢だったので、もしかしたら大好きな友達と行くのが叶うかもしれなくて、ホントに行けたら泣いちゃうくらい嬉しいかもしれません。また、その話もできたらいいな。