読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

人間観察論

面白い人が好きです。

よく女の子に好きなタイプを聞くと、
「面白くて優しい人が好きなの〜」という答えが返ってきますが、その面白さってどこに起因しているんですかね。面白い人って何なんでしょう。

初対面の人でも、当たり障りのない話術を繰り広げられるのは、場の空気を読むのに長けた頭の良い人だと考えています。自分がこの人を面白い!って思ったら、それは向こうが、自分のことをめちゃくちゃ観察してその人やその状況に合わせた対応をしているんだろうなあと思っています。
自分も即興的な人身掌握として、話せるネタを常に持っていたりします。ウミガメのスープと呼ばれる水平思考のゲームなども使ったりします。言うこと為すこと全部ネタにしたがる芸人気質なので、面白く着飾ることだけなら、割と容易くできます。
どの場でも通用する面白さを持っている人ってチャラいとか馴れ馴れしいというわけではなくて、人の言動に途轍もなく聡いから、そういう意味では本当に底知れない怖さがあります。

「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」

このようなニーチェの言葉がありますが、当たり障りなく面白い人って、無意識でやっていたとしても途轍もなく人の機敏に聡いことが多いと思います。この人、面白いなって解明しようとしたら向こうのほうが上手だったりするのがまさにそうですね。勝てない。
女の子のいうモテる面白さには、芸人的な面白さではなくて、やはり自分の機敏を気にかけてくれる人っていう意味合いが大きいんじゃないかなあと解釈しています。知っていてくれるということは優しさや安心感にも繋がると思います。面白くあるにはやはり相手のことを考えないといけないし、自分も立ち回りとして都合がいいから、他人に面白く演じてみせる場面も多いです。

ただ、自分でも人身掌握的なことはある程度やるんですけど、やっぱり人の合う合わないはよくあるので、楽しくねえのに楽しく着飾るのも辛いので、そういうときは話しかけんなオーラを敢えて出して遮断してます。見る分には興味深いし楽しいけれど、関わりたくない人って、人間観察すればするほど見えてくる気がします。
だからこそ、自分自身浅く付き合っておけば真面目に見られるけど、深く付き合うとクズだと言われることが多いです。この印象の変化は、人格に裏表が存在するのではなくて、自分についての情報をどこまで開示するかを人によって変えています。真面目なのも本当なんですけど、クズなのも本当です。クズなことを知らないだけなのです。
全人類が仲良くなれるなんて、さらさら思っていません。人生は有限だし、出来る限り気の合う人とたくさん一緒にいた方が幸せだなって。初対面の人をあしらうのは得意なのですが、人と距離を詰める為にかなりの時間を必要とします。というか、大半の人には心を開かずに終わります。自分も情報開示をして足り得るかどうかを観察していますから。こういう理性的で人間を損得で見ているところは昔から変わらない気がします。

「楽しめることは無邪気に楽しまなきゃ人生損!でも途方もない努力はやりたくないし面倒臭いのも嫌だ!人を傷付けて陥れて迫害することは嫌い!」
という小学生メンタルのまま育っていて、そこは昔からブレていないと思います。
全ての情報をノートに逐一メモして最前列で受けるタイプの真面目ちゃんは苦手です。自分はいかに努力しないで最大の効率的効果を上げるか、という効率厨なところがあるので、努力重視とは根本的に考え方が合いません。大体そういう人に限って、成績も特別いいわけじゃなかったりします。真面目が報われない世の中厳しいよね。
まぁなんとかなるっしょ!っていうその場凌ぎの人は、自分を利用しに近付いてくるのでこっちもそれなりに利用しがいがあるので関係性としては得があります。ただ、結局損得関係なので、そこで打ち止めです。あとやっぱり、物事を軽率に見ていて何かを得ようと思っている探究心が欠けていたり、本当に真面目にやらなくてはならないところで人任せにするので、それは違うだろうと思ってしまいます。憎めないんですけどやっぱり尊敬もできないんですよね。

そうやって、関わる人の選別をしていると、自分の周りには、
「効率いいしスペックは高いが性根が歪んでるがしかし無邪気だ!」
みたいな真面目系クズばっかり集まってきますね。類は友を呼ぶみたいです。大変遺憾です。

自分のいう面白い人の定義の一つ目は「真面目系クズ」です。
成績が良くて周りからも尊敬されているけれど性根が全然真面目じゃない。ギャップ萌えです。こういう真面目系クズは懐に入らないとクズさを見せてくれないのでそういう意味では、攻略しがいがあります。
人間的な薄さや厚さを何で人によって感じてしまうのだろうということをよく考えたりするのですが、
「どこまで自分に対して向けられている他者からの解釈と、そういう周りの視線も含めて成り立っている自己認識が自分で把握できているか」
っていうのが大きく関わる要素だと思います。
真面目系クズは、周りから自分がどのように映ってるか計算した上でそれを利用しつつ、でも実際のところ全然そんなこと思ってないっていう計算高いところが好きです。
先ほど例に挙げた真面目ちゃんは、他者に基本的に不可侵で無関心であることが多いのと、自己解釈が弱いと思うところがあったりして、人間を見る目は長けていないと感じることが多いです。
その場凌ぎの人は、他者解釈は長けていて空気を読む力はあるけれど、どうしても譲れないとかっていう信念がなかったりするなあと感じたりします。どちらも割と見てくれが全てなんですよね。
自分がギャップ萌えのある人間が好きなこともあり、こうやって数回会話することで色々見える人間も多くて、個人的には興味対象や研究対象にはならないですね。人間として優劣とかじゃなくて単なる自分の好みの話なのですみません。

こうやって勝手気ままに区分することが好きなんですけど、たまに、どんなに観察しても、考察しても、その人となりの半分も理解できないような奇妙な人間がよくいます。

それが、二つ目の面白い人間の定義である「闇持ち人間」です。
闇持ち人間といっても普通の人です。普段めちゃくちゃ明るいけれど、それででもとんでもないことを隠していたりします。底の見えない面白い人間に会ってしまった時、やはり興味の対象になります。本当に面白い。もっと知りたくなってしまうのはもう人間観察が趣味で研究対象としての性ですね。
自分は例の彼女のことがあるので、これが所謂闇の一種とすると、結構これを開示すると向こうからもとんでもないものが出てきたりするんですよね。というか、もうこれは第六感的な感覚でしか話せないんですけれど、闇持ちは闇を引き寄せるのか、何となくわかる。お前は闇を抱えているなと。そういう意味での情報開示のタイミングはとても気を使っています。

人間普通に生きてるように見えて、案外簡単なノリでは言えないこと、心理的トラウマ、外傷、思った以上に周りぞろっといます。そんなの知らないよ!っていう人はきっと多分、相談するに値しないと向こうから人間観察されて打ち止めになっているのかもしれません。痛みを知る人は色々なものを多方面から見ています。知らない方がいいことの方が多いのかもしれません。でも、人間の深さってそういうとんでもないところに隠れているんですよね。自分はそういう意味での面白い人が好きです。

みんなと仲良くしよう!という主張は嫌いです。
嫌いな人とでも仕事や社会生活を共に送る上では我慢できる程度なら、そういう付き合いは必要だと思うのですが、仲良くなる必要は一切ないと思います。人間の相性として、合う合わないはあります。誰が悪いわけでもなくてそういうものだと思うのです。

特に、子どもは行ける世界が狭くて、学校生活に囚われていると本当にそれだけが全てになってしまうのは怖いと思います。
コミュニティに属していて、いっそもう死にたくなるくらいなら逃げればいいのです。簡単に言ってしまってあれなのですが、調和することを諦める勇気というものは、自己保身の為に必要であると思います。辛いなら会社や社会生活や、そしてこれは本当に一番デリケートで難しいけれど、家族ですらいくらでも逃げていいと思うんです。囚われて死ぬよりはマシだ。
そういう意味で視野を広げることや、人間観察って生きるためにある程度必要で培っておくべきだと思うんですけど、やっぱ人生の裏技的なものなので教育としてはやっぱ真っ当には教えられませんよね。

悟って。察して。の綱渡りの世界なんですけど、そういう不安定さが人間の面白いところだなあとも思っちゃうんですよね。
ただ、付き合い辛い人や苦手な人がいても、攻撃する必要だけはないと思います。人を嘲笑し、排斥することで成り立っているコミュニティが嫌いです。関わらないことや無関心であればいい。複数で人を排斥して楽しむ行為だけは本当に許せないと思っています。そんなことしてるくらいあったら自己を省みれよ!って思うんですけど、事実そういうコミュニティもたくさんあるのが遣る瀬無いなあと思います。全員と仲良くする必要もないけど、攻撃する必要もないっていうそういう雰囲気作りって案外教育者に求められてるんじゃないかなと思います。どうしたらいいんだろう。背中で語ればいいのか……。
何か具体策あったら是非教えてください。

そういえばこの前、どんぐりに穴を開けて笛を作る授業をしました。自分自身、必死でどんぐりを開けながら周りの様子を観察していました。真面目ちゃんはどんぐりとただただ無言で格闘していて、その場凌ぎの人はそもそもどんぐりに穴を開けてすらいませんでしたね。ゴミ箱にどんぐり捨てられていました。
そして、友達を見たらさっさとどんぐり器用に作ってピーピー吹いて、颯爽と帰って、そして次の日また持ってきていました。上手くできたのを笑顔で自分のところまで見せに来てまた吹いていて、ほんと愛おしいなあと笑みが溢れました。
成績に関係なく真面目にやらなくても大丈夫なことにも全力で取り組んで楽しみを見出そうとする、こういうところに個々の物の見方や考え方は出ていると思いました。やはり心の純粋で素直な人が魅力的に感じてしまうし、面白いし好きだなあと改めて思った瞬間でした。
どんぐりの穴開けでわかる人間観!