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人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

闇の世界との隔たり

最近、闇の世界は存在するのか?ということについて考えを巡らせています。

自分自身の対人関係について振り返りますが、仲良くなるほど駆け引きとかが苦手なタイプなので、思ったことは結構グサッと言ってしまいます。多分正論マシーンだとは思われていそうです。自分はその時は確かに自分が正しいと思って言っているのですが、他人からの意見の吸収も早いので、案外こう反論されると間違ってたごめんって手の平ひっくり返したりはします。理論的に考える癖に本能で生きてます。
人が一番言われて嫌がることを的確に刺す方法は滅多にはやらないですけれどわかっています。売られた喧嘩は買うタイプなので、やられたらやりかえすようなハンムラビ法典戦法です。あと、自分は義理堅いというか相手と対等でいたがるので、それも気にしたりしますね。相手が秘密を打ち明けてくれたら打ち上げ返すみたいな……一方的な利用はあんまりできないです。
また、向こうが自分のこと好いていないなって感じることもよくあるんですが、ビジネスライクは頑張って〜〜!と思ってます。ビジネスライクすら無視されると腹立ちますね。こっちが多分歩み寄る気がないから向こうも歩み寄らないから、両者悪いのはわかってるし堂々巡りなんですけど。

近頃、なんとなく境遇が似てるような友達と深い話をする機会が多くなってきました。
そういう友達が口々に「君もやっぱりこっち側の人間だった」と言うのが印象に残っています。
自分は常日頃から「こっちの世界」というの勝手に意識して生きてきたので、あ、自分だけじゃないんだ。ということで救われた部分が多いのですが、この見えない壁の存在についてどれくらいの人が意識して、そして、区分してしまって生きているのでしょうか?
そもそも、こうやって区分することが傲慢で間違っているのではないでしょうか?

これを便宜上「闇の世界」と定義します。厨二病最高ですね。

ある人間は笑って言いました。
「第六感が働いたのか、貴方も隠し事をしている気がしていた。なんとなくそうだと思っていたんだけど、感覚でわかるんだよ。うまく説明できないけれど。みんなにはここまでは話してない。」

ある人間も言いました。
「お前は俺と同じだからわかってくれると思ってた。他の奴には底ぬけな明るさが胡散臭いとバレているのはわかっているけどこんな話をして場を凍らせることなんてできない。」

またある人間は言いました。
「そうやって自らの生い立ちを不幸とか認めている時点で傲慢だし甘えだし偉そうだし腹が立つからやめてほしい。」

またある人間も言いました。
「愛されて育ってきたんだろうなあってわかるよ。人を疑わず世界を信じている。家族が当たり前のように愛してくれて愛が当たり前だと思って知らずに生きている。」


自分は、色んな人を観察して人間関係を推察し、そして色んな人の悩みや苦悩も聞いてきた中で、やっぱりこういう「闇の世界」の人間のその存在すら、知らない、または認めようとしない人がいることを感じて暮らしています。
両者、誰が悪いわけではなくて、でも闇の世界の人間はそれなりに傷つくことが、日常に不可抗力のようにたくさん転がっていて、場を暗くしないように努めて明るく振舞って暮らしています。

個人の悩みなんて比較しても意味はないのです。本人が辛いといえばそれは辛いのだと。「俺の方が不幸なんだから」と言えないからこそ我慢して苦しんで暮らしているんだと思っています。できたら愛されてみたかった、と誰よりも焦がれている。でもそれが甘えだと自分が一番よくわかっている。
それを所構わずぶちまけてしまったらやっぱりメンヘラなんだろうなあと思ってみたり。
メンヘラの定義について親友と意見を交わしたこともあるんですが「他人とのコミュニケーションのために自分の悲劇を持ってくる奴はメンヘラ」という結論をつけました。相談とかじゃなくてもうただただ自分可哀想論は勝手にやってろ!って思いますけど。補足。

例えば誰しもそうなんですけど、日常に地雷ってたくさん転がっているんですよね。
片親の子供に両親の所在を何気なく聞くことも本人にとっては酷く傷付くことではあるし、家庭の経済面に対しても、自分の家や常識では当たり前だと思っていることが、実は当たり前ではないことって案外気を付けていないと、ぽろっと考えが足りないことが見透かされてしまうんですよね。そういうところ、すごく闇の世界の人間は常に観察して見ています。普段から人に最大限気を使って生きているから。

誰しも、あの家族という小さな箱庭の中で育った自分なりの尺度でしか測れない。

家族のことだけじゃないですが、やはり大きな要因は家庭環境だなあとも思います。これだけは自らの努力ではどうしようもないから。呪いだから。
世間一般の当たり前との狭間で、ほんの些細なことで傷付き続けることがもはや日常なんです。それにいつしか慣れて笑って過ごしている、彼らの強さと逆境の明るさは尋常なものではありません。
配慮の足りない質問を重ねて彼らの強さによって明るく返されるからこそ、それでコミニュケーションが取れていると勘違いしていて、実は傷付けていること、すら知らない人がたくさんいます。多分そういう人は、人の痛みには本当の意味では寄り添えないんだと思います。そりゃそうだ、心を許されない。

じゃあ「そんな全部気にしていたら何も喋れないじゃないか!?」ということも、実際に言われたこともあるんですけど、恐れて傷付けないようにすることは実は見当外れで、傷付けていることを知っていることが何よりも大切なことである、と自分は考えています。
本当にわかってる人はやっぱり無神経な質問は決してしないんですよね。世間一般で何気なく聞かれることが当たり前じゃないことを理解している。

自分が恵まれていることを知っている。
これって本当に難しいことなんだと思います。

世界は汚いからこそ、自分が幸せで恵まれていることを本当の意味で自覚していれば、傲慢でもなく自然に人に優しくできるし、気を配れます。
自分はそういう友達に愛され甘えて許されてずっと救われてきました。自分は、残念ながら闇の世界の住民なので人の痛みは痛み分けでしか救うことができません。それでも多様な考え方を認めるっていうのは、すごいことなんだなあと彼らの優しさに触れて尚、思います。

闇の世界の人間が必死にこっちに巻き込まないようにしていることをわかっていること、触れない優しさ、自分たちがいない方が良い状況を察知して、静かに去っていく気配り。
そういう細やかな気の使い方ができる友達に囲まれて自分は本当に幸せだなあと思います。

闇の世界の人間は、闇の世界の人間としか真の理解は足りえないんですよね。
ただそれは、二人で手を取り合って海に沈んで死んじゃうレベルの分かり合いなので、過度にはやめた方がいいです。二人で地獄に堕ちるって選択肢も簡単に選べちゃったりするんですよね。
似た者同士ってどこまでもいけちゃうので危険なのかなと思います。相互理解してもマイナスに向いたら心中しちゃうんですよね。


自分が思うに、闇の世界は存在するし、闇の世界の人間が存在することすら知らず、家庭環境の提示や質問が多い人はいます。
本人に悪気がないのがわかっているからこそ、この人の常識と自分の常識は違うっていうのが容易に推察できてしまって、じゃあ愛されて育ってきたんだなって引け目を感じて深入りできないし、お互いの尺度が違いすぎて、遠い世界の人間としか捉えられないんだろうなと思ってしまいます。
一回、この子は愛されて育ってきたんだなって子に試しに深入りしてみたんですが、相互理解足りえなくて向こうを苦しめていることもわかったし、何より傷付けているようで自分が苦しくなってしまいました。
それでも、そういう哀しい人間がいるのをわかっていて、本当に心配はしているけれど自分達はそこに入ることはできないからしない、という優しさも存在しているんです。
自分は他人をあまり巻き込みたくない、関わらせたくないと思っているのですが、そういう巻き込まない優しさがあるということをわかってくれてどれだけありがたいことか。
「言わなくてもいい、でも本当に心配している」っていうのが伝わってきてありがたくて仕方がないし、もし、自分が、自分と違う価値観に出会ったときはこうすべきなんだと思いました。関わらない優しさってこんなにも難しいのに。
闇の世界の人間の事情を察せない人に、じゃあ知ってくれよこんなにも傷付いているんだっていうのはあまりにも残酷だし、誰も悪くない話なんです。
でも闇の世界の人間は確かに存在していて、巻き込まない配慮をしていることをわかってくれている、というだけでも助かります。
幸せな人が他人の不幸に鈍いのは仕方がないことなんです。人間なんて自分本位な存在だし、だからこそ不幸な人が幸せな人を妬み、引け目を持ち、気を使っているということを知ってくれるだけでも、良いのになあと思ったりします。
自分だったら……って置き換えて感情移入での同情ほど薄っぺらいものもないと感じています。辛いからこそ自分にはわからない、だからこそあなたが苦しんでいることは本当によくわかるから、心配しているよってそういう優しさの話。
一人一人が、そんな世界は想像もつかないって世界で生きているから、他人を愛するからこそわかって触れないでくれている優しさに包まれたいです。違っていても拒絶じゃなくて許容できる世界であってほしい。
友達各位、いつもありがとう。