人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

永遠の愛は絶対でも呪いでもない

最愛の彼女の話をします。

彼女が亡くなってからもう5年余り経つのですが、彼女の生は勿論の事、彼女の死も自分の人生に多大なる影響を与えています。死んだからこそ、生が際立っているのかもしれません。何しろ不変の存在になってしまったのだから。
どうしようもないことに諦めがつくようになったのも彼女が死んだからだし、どうしようもないことに諦めがつかないのも彼女が死んだからです。でも、彼女のことで落ち込んだ時、ちゃんと逃げずに落ち込むことを大切にしています。呪いであり持病であり、もうきっと一生抱えていくのだ、と自分自身でそう決めつけて生きることを課しています。
彼女に囚われ続ける人生を今、敢えて選んでいるのは自分です。

彼女は、気高く真面目な人でした。
自分は割とちょろっとした労力で成果を出し、いかに楽できるかということを考えてる怠惰に塗れた人間なのですが、彼女は本当に生真面目で努力家で頑固で、自分の考えを貫くところが格好良いといつも思っていました。他の人にはけして左右されず、最後まで責任を持ってやり遂げ、自分をしっかりと持っている。その自我と想いの強さに自分はいつも惹かれていました。
自分が比較的人を振り回して洗脳するタイプの人間なので、それだからこそ付き合ってくれていたのかもしれないのですが、色濃く趣味も考えも一致していたように思います。ゲームや絵を描く趣味は、好みは違えど色々と影響していて、二人で遊ぶのが何より本当に楽しかったです。二人だけにしかわからない、二人だけで創った世界がたくさんありました。本当にたくさん。今はもう、自分にしかわからないけれど、二人で共有したものは全て覚えています。もう自分が忘れたら消えてしまう狭い儚い、そして美しい世界を忘れないし、今でも変わらず愛しています。

彼女の生き様が好きでした。
真面目だからこそ世話を妬く必要なんて、本当はなかったのかもしれないし、彼女は滅多に甘えてなんてくれませんでした。
自分はそんなにも、気高く逞しく生きることができないので、彼女の真っ直ぐさや頑なさに憧れていました。なれないからこそ、なりたがった。彼女さえいれば他の世界はいらなかった。世界で彼女が、一番自分のことを理解してくれていたんです。何でも言えるから、何でも伝わる。ただ横にいてくれて、共に世界を見て、それが当たり前だと思っていたし、自分のライフサイクルに確実に彼女は深く組み込まれていました。

彼女が病気になった時、その病気の実態に対して自分は、そして多分、彼女もとにかく無知でした。結局彼女の死が迫る一週間前まで何一つ理解できないまま、約二年間の闘病生活を終え、彼女は死にました。
自分も、彼女も、医者も含めた周りの人間誰一人、事実として数値として、どんなに絶望的であっても彼女が死ぬとは思わなかったと思います。覚悟があるとかそういう問題ではなくて、病死だったのに、どこか事故死であったような唐突さがあるくらい、彼女は最期の最期まで、可愛く笑顔で元気だったのです。

病気になっても、彼女の気高さは変わらず、どんなに治療が過酷であり、激痛や、髪が抜ける、眼球に血が溜まるなどの年頃の女の子としては過酷な副作用があったとしても、彼女が挫けることはありませんでした。泣き叫び暗くなるよりは、彼女はただひたすら暴れたと聞いています。彼女は文句は言っても、弱音を吐かれた記憶は殆どありません。
フィクションの世界では病気を治してくれた医師や看護師のことを美しくかくことが多い気もしますが、彼女はけして医師に気を使うことも媚びることも、なびくこともなく、奴等のことを最後まで憎み続けました。彼等も人間であり、職業なので完璧にはいかないのはわかっています。患者にあけすけない態度は直に伝わるものです。自由のない統制された病院は、まるで監獄のようでした。元々人に媚びることをしない、世渡りとしてはあんまり上手じゃない彼女なので、その分誰に対しても、真っ直ぐで正直な女の子でした。だから牙を剥いていた。
意地もあったのかもしれません。それでいても理不尽な世界に怒り憎む姿は、皮肉ながら、以前から持っていた彼女の強さをより濃く引き立たせました。
だから自分は、これは彼女の戦いであるからこそ、他人に悲観的に同情されたくなかったんです。周りの誰にも言いませんでした。同情されたくなかったと当時はそれだけを強く思っていましたが、多分、自分は、彼女とのことを誰にも邪魔されたくなかったんだと思います。彼女のことを当たり前に、世界一優先させる自分の狂気さを無意識的に分かっていたのかもしれません。何者にも介入されたくなかった。
辛い治療の中でも自分達の仲は変わることなく、一緒にいることが当たり前の日常を続けていました。休日が彼女の見舞いのために潰れても、それで何一つ不満も迷いもありませんでした。今ほど自分の行動手段がなく、世界が狭かったのは悔やまれます。多分、今なら毎日通えていた。自分の世界に彼女がいなければ何の意味もないので、彼女の為というよりは、自分の為に彼女に会い続けていました。そして多分、自分の存在も彼女の支えになっていたのかな、と思います、というか信じたいです。

彼女にとって自分はどういう存在だったのか。それこそ彼女に聞かないと分からないので、考えるだけ無駄なのかもしれません。もしかしたら、自分のことを憎んでいたのかもしれないし、どうしてわたしだけ、と入れ替わりたいと焦がれられていたのかもしれません。
それでも、彼女に直接、憎しみをぶつけられることはなかったし、彼女にとっても、自分は当たり前すぎる存在で唯一無二だから、いないなんてそんなこと、考えるまでもないことだったのだと思います。当たり前のようにこれからも共に生きていくと考えていたし、いない人生なんて互いに考えられなかったんだと思います。

彼女は格好良かった、今でもそう思います。地獄に身を置かれて、命を脅かされ弄ばれて、ここまで真っ直ぐに自分を見失わずに生き抜いた彼女の姿は、死をもって完成されてしまいました。
神なんか信じてないのに、もはや彼女は道標であり、神のような存在なのかもしれません。自分の生涯で、一番に尊敬する女の子です。

彼女に対して、生きていて欲しかったとは思うし、未だに言いようのない喪失感に苦しめられることはあります。それでいても、彼女に対してやり残したことや、後悔することは何一つありません。
彼女自身の生き様含めて、そして自分も全力で尽くしてそれでもダメだった。それに死にたくなるくらい絶望して生きる意味を失いました。
でも、彼女が生きたかった世界を否定して死ぬことは彼女への冒涜にしかならないのではないか。だから、彼女のいない世界を生きることをとりあえずは享受しなければならない。自分が彼女の生きている世界で生きることをどんなに、どんなに望んでいて、彼女のいない世界に価値なんてないと思っていたとしても。
それでも、彼女の生きた証に勇気付けられて今、自分は生かされていることを誇りに思ったっていいじゃないのか。
開き直りなのかもしれないし、こんなにずっと苦しんで考え抜いたことをまたそのうちひっくり返し解釈し直していくのかもしれないけど、人生何が起こるかわからないことを学んだのも本当です。

自分は、彼女への愛を間違っていると誰かに否定して欲しいのかもしれないし、変わらなくていいんだよと肯定して欲しいのかもしれない。

それは、まだわからないです。
ここまで来るのに、彼女の後追いを考え、とにかく多忙によって打ち消して逃避してみたり、彼女の死を何かしらに生かさなくてはと特別な人間になりたがったけど、無力であることを実感させられ、生きる意味を見出せなくて自分だけ幸せになっていいのかと苦しみ、引きこもりもやったりしまして。
それでも、元気でやっています。

自分が色々な視点から人を見ることができるようになってから、付き合う人間もまた変わりました。今現在の人間関係含め、彼女の死の上に自分が成り立っていて、そうやって自分はやはり生かされているんです。
神は天の上じゃなく、己の内側に巣食っていて、それはハイリスクハイリターンの魔物だなあとは感じています。
そして、彼女の遺した道標を追い続けています。果たして、本当に彼女の生き様は正しかったのか。その問いを知りたくて走っています。彼女が正しくなかったその時、自分はこの呪縛から抜けられるのかもしれない。それはそれで嬉しいなあとも思っています。
定まらない未来を決め付けずに自由に生きていきたいです。


彼女が亡くなる2時間前、あんなに嫌いだった病院に行くことを彼女自らが望みました。そして救急車を呼び、運ばれる直前に、ほんの少しの時間だけが残されていました。
その時、12年間共に過ごした彼女が二度とここに帰ってこないということが確信できました。朦朧して混濁していく彼女を見て、言いようのない不安と愛が渦巻きました。普段なら恥ずかしがって言えないことも、今際の際で伝えておかないと絶対に後悔すると思いました。
「大好きだよ」と自分が呟いた言葉に彼女が頷いたことで、永遠の愛は成立してしまったと思っています。
この言葉に自分は支えられて生きています。
自己満足でしかないのですが「好きな人に好きだと伝えておかないと、もう伝えられないかもしれない。伝えなくて後悔したくない」という思いが未だにずっと残っているし、それこそ友達にも実践し続けています。最近はあまりにも言いすぎてイタリア人男性か!って突っ込まれて笑いました。違うけどホントのこと言ったら重いよね〜。

あと、友達に「努力は報われなくとも、同じ量では返ってこないとしても、ある形で必ず残る」と言われてなるほどなあと思いました。
彼女が死んだことで、物事をどんだけ頑張っても無駄ということにしか帰結しないし死は無意味だねという考え方に陥りかけていました。でも、もしも、彼女が闘病しなければもっと早く死んでしまっていたかもしれないし、自分が彼女の生き様に未だに憧れ続けているのは、諦めずに努力して戦い続けた彼女がいたからということをそういえばと、思い出しました。

死んでしまったという結果ばかり見て、だからじゃあこんなに辛い別れがあるなら最初から出会わなければよかったのか。そんなことはないと胸を張って言えていたはずなのに。

彼女の死に、意味があるとは思いたくないです。それは自分が勝手に見出しているだけなので。
だからこそ、彼女が生きることを最期まで決して諦めなかった、その貫かれた精神にこそ意味があることを信じています。
彼女の生に憧れて死にかけた自分が、じゃあ今度は些細なことでもいいから他の人を助けてあげたい。
この彼女の生き様で、何か力になれること、それこそ誰か一人の人生を変える魔法になることをいつか、証明してやりたいです。