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人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

発掘!私小説

自分の精算も含めて、過去のものを整理していたら、2014年10月頃に書いた私小説が出てきました。

自分の人生は、創作物に対して多大なる影響を受けてきた瞬間が多々あります。
それこそ頭部を鈍器でかち割られたような、そのような衝撃を受け、自分は自己投影し、深く考えるきっかけとなりました。
その思い込みは今考えると、全てが正しかったとは思えません。
その時の自分にとっては絶対的正義であって大切なものであっても、今考えると余りにも無謀なこともあって、自分と創作物との間で何かしらの不具合的な解釈が起こってしまったのかなとも思います。
だからこそ、今触れ直すことでまた何か考え直せることがあるのかなあと思ったりしています。
作品としては主にこんなものです。
MOTHER3
『さよならドビュッシー
上三作どれも続きモノだったりするので、ぜひ前作から触れてほしいのですが、唯一これが始まりである、中山七里さんの『さよならドビュッシー』を読んだ直後に、この私小説を書き上げたんだったなということを思い出しました。

それを踏まえとも、踏まえずとも、当時の自分の感情の叩きつけた先をここに記し直しておくことにします。




一、
 
どうやったら美しく看取ることができるかを、妹の余命を告げられた瞬間からずっと考えていた。
 
妹の死の直前のごたごたは今でもはっきり覚えている。逆に言えば、それしか覚えてない。
私が両親から妹の余命を告げられたのは結果論ながら、命日の十日前のことだったので、良くも悪くも死を意識したその十日間のことだけ鮮明なのは仕方のないことではあった。
だが、それ以前のことは私の中で妹と共に生きてきた連続の日常でしかなかったのだ。
 
ここに、妹の死以前から私は重傷なシスターコンプレックスであったことを一応弁解しておく。妹の生前、妹という存在は私にとって半身であり、言わば加護対象のかたちをしていた。お菓子があれば分け合うのは当たり前。快も不快も喜びも悲しみも感動も共有するのは当たり前。妹を守れればそれでいい。一生一緒にいられればそれでいい。
本当にたったそれだけで満たされる存在を私は生後三年で手に入れていたのだ。そういう意味では、両親と運命に対して最大の感謝をしなければならない。
だから、妹が悪性リンパ腫になったことで、確かにショックを受けたが、病気でも妹は確かにこの世界に存在していたので私にとって左程苦ではなかったのだ。
私にとって、骨髄移植によって自分の血を妹に捧げることは、逡巡する必要のないことであり、お菓子を分け与えるほどに当たり前のことであったためである。私は妹が存在さえしていれば病気であるかどうかなんてどうでもよかったのだ。
つまり、私にとっての重要な点は妹が生きているか、死んでいるかのどちらかでしかないのであった。
しかし、そのどちらにも区分されない時間があった。
妹が生きる日常と、妹が死んだ非日常の狭間の『妹が死ぬことを知っていた十日間の日常』である。
その中で囁かに私は、自分に対して最大なる遺産を一つ創り、最大なる誓いを一つだけ掛けた。最初にその話をしよう。
 
まず、最大なる遺産についてだが、これはまだ誰にも話していなくて、私が死んだらそこで潰えてしまうほどの些細なものでしかない。私の中でちょっとした切り札として温めている節がある。というのも実は言いがかりで、ただそれを披露するタイミングも意味もないから出していないだけに過ぎない。まあ、この存在は本当にちょっとした悪あがきみたいなものである。
少し話は逸れるが、私は今でも時々、妹の遺書でもないだろうかと机を漁ることがある。だが、期待に反して、小六という年齢だからか彼女の日記みたいなものは見た限りではどうやら存在していない。しかし自分が小六の時はまさに、黒歴史のような日記は書いていたしそれは今でも残っているので、性格の違いなのかと思いつつ、彼女が小四、五と病院生活を強いられてきたことも少なからず関係しているのかもしれないと考察している。彼女の遺言も日記も少なくとも私は何も知らない。
話を戻すが、遺産というのは簡単に言えば十日間のムービーだ。
断片的なものが十個ほど、今でも私の身近な録音機材に入れられている。以前から、この録音機材は撮影の際に音も光も鳴らないので盗撮として悪用する人がいるのではないかと考えていたが、自分が堂々と盗撮に使うとは、その瞬間まで全く思いもしなかった。
妹があと少しで死ぬかもしれないと両親から告げられた時、私が真っ先に考え、実行したのは、妹を動画として残しておくというとてもストレートなものだったのである。
盗撮といってもその録音機材は、割と堂々と左手に掲げていたし、正直撮る方も撮られる方もわかりきっていたことではないだろうかと今でも思う。少なくとも、私はばれる前提でなりふり構わず撮っていたのは確かである。両親がその行為に気付いていたかどうかは直接聞いてみないとわからないが。
ここで補足として付け加えておくと、両親も私も、妹に対しては最後の再発のことも余命のことも一切伝えることはなかったので、彼女が自分に死期が迫っていたことを知っていたか確認する術はもうない。汗ばみながら必死で録音機材を握り、さり気なさを装いつつも、必死に質問する撮影者の自分のことを被写体である彼女は、どう思っていたのだろう。勿論今ではそれを知る術もない。
必死ながらもストレートで単純明快な動機で残した、恐らく現存する最古の妹の日常を映した動画は今のところ私だけの所有物であり、必要のない限り誰にも見せることはないだろうなあとぼんやり考えている。うちの両親はアメリカ人らしくホームビデオを撮る習慣もなかったし、お涙頂戴のドキュメンタリーのように妹に遺言を喋らせてそれを撮影するようなイベントもなかったから、これが妹の日常を映した最古のVTRなのである。
あの時は「死に逝くならばその姿を是非撮らなくてはならない……」と断固とした使命感を抱いて撮影されたたムービー群なのだが、それを人に見せる理由の方がさっぱり浮かばず、そして消すのにはちょっとだけ勿体なくていまだ私の手の上で弄ばれている。
そういう意味で意味のない最大の遺産なのだ。
 
次に最大なる誓いの方だが、これは誓いの方は後付けでもあったりする。妹が死ぬかもしれないという崖っぷちに立たされ、とりあえずはアメリカ人とドキュメンタリーの折衷案として日常ホームビデオを盗撮した人間が、次にとったその行動は限りなく本能であるのだろうなあと、三年後の自分が勝手に解釈してそれをその時に誓いにしただけのことである。ただ四年後の今の私もそれをかなり気に入っているのでその誓いについて話をしておきたい。
その時は事の重大さがわからなかったのか、妹がいる日常が続いてほしいと願ったからなのか、私はその十日間、学校の終業式も塾の冬期講習も休まず登校した。別に両親に特別急かされたわけでもない。しかし、休むことが罪だと私も両親も考えていたその頃は、いや今でも両親だけはそう考えている節があると私は思っているが、まあ、とにかくその時は、死にかけの妹をおいて学校に行くことを自分で選んでいたのだから、今考えるとさっぱり首を捻るしかない忌々しき事態である。恐らく、妹に不審がられないためのカムフラージュだったのかもしれないが、どうも優先順位があべこべでどうも納得できない。今なら喉から手が出るほど嘱望してやまない日常を軽々と、あろうことか学校に浪費してしまったのである。
それほどまでに追いつめられていた、と言ってしまえば簡単なのだが、どうもその学校に行くという行為そのものが、自分の当時の生き様が剥き出しになっているような気がして今では面白いと思う。
さて、死に際のビデオは撮るのに、日常を装って学校には行くというちぐはぐな自分が次にとった行動は、妹のために絵を描くことであった。ホームビデオを撮ろうとした動機より単純で簡単な話だ。
今自分が最大限できることはなんだ、と自問自答した結果、私は真っ先に筆を取ったのである。
私がお菓子や骨髄をあげたかったからあげた。それが当たり前だと信じて疑わなかったから。それと同じように今自分が与える最大のものはなんだろうと思った時に、私は筆を取り一枚の絵を完成させて彼女に捧げたのである。
その絵は今もまだ残っているし、本当は火葬の時に燃やすべきか少し迷ったのだが、手元に自分の作品として残した方が価値があると判断したから燃やさなかったし、それで良かったと思っている。一時のセンチメンタリズムで自分の作品を燃やさなくて良かった。
妹のためを思って、激動で描き上げたそれは間違いなく立派な作品なのだと思う。そして自分が想いを伝える手段として絵を描くことを本能的に選んだこと、そして少なくとも自分が何かを表現しないと生きていけない人種だ、ということを知るのはその時よりもっと後になってからのことだったが。
私はそこで筆を取ったことを今でもずっと誇りに思っている。
 
そして絵を捧げた8日後に妹は死んだ。
私は何の根拠もなく、必ず年越しだけは彼女と共に越せるだろう、と神に縋って信じていた。その願いが強すぎたからなのか、よりにもよって元日に死ぬとは思ってもいなかった。
これは今でも母親から言い訳のように時々聞く話なのだが、妹の再発自体は十月からわかっていたが、私に話すのが十二月二十二日になったのは、母親も父親も本当に死ぬとは思わなかったからだそうだ。
確かに私は妹の死期が迫っていることを知って、慌ててビデオを回したがそれは妹が危篤状態のものを映したわけではなく、あくまで『妹の日常』を切り取ったものだった。
私の目から見ても妹はとても元気そのもので、両親が十二月二十二日まで私に隠し通せたのも、私が妹と最後の十日間を普通に送れたのも、妹が元気すぎたものによるものだった。多分、両親に言われなければ私は恐らく、元日に妹が救急車で運ばれるまで妹の不調には全く気付きもしなかっただろう。
妹の元気ぶりは、あまつさえ妹自身まで騙すようなものだったのだろう。錯覚だったのだ。妹が息を吸って吐くたび、右肺が全く動いてないのも。そう信じていたかった。
 
病院嫌いな妹が自ら呼んだ救急車に、彼女が吸い込まれてもう二度と帰ってこられないとわかっていた私は、彼女の手を優しく握った。既に生気はなく、ひどく冷たかった。
だいすきだよと今際の際でも照れながら呟く私に、彼女は静かに頷いてしまった。
それが悪魔の契約であり本当の呪縛だったのだろう。この愛は不可侵であり二人だけの永遠になってしまった。
永遠とは、不可侵とは、愛とは、とても美しいかたちをしているのだとふと思った。
 
二、
 
どうやったら美しく死ぬことができるかを、妹と愛を誓った瞬間からずっと考えていた。
 
悪魔と契りを交わした契約者である自分は、ひたすらこの魂をいかに悪魔に捧げられるかだけを考えていた。
死者に捧げるレクイレム。
妹が息を引き取り遺体が運ばれ妹が燃やされて骨になってもずっと、口ずさむようにそればかり考えていた。妹の死のことに直面したその時から、元々長く生きるつもりなんてなかった。
リミットは二十七歳だ。
三歳下の妹と共に十二年間を辿った十五歳の今の私が、妹が死んで十二年経ったら、この現世に別れを告げて全てを終わらせよう。それ以上は耐えられる気がしない。そういう契約を自分に課した。
その最初の契約は、死までの目標も魂に見合う代価もなしに。ただ死ぬその時のために。
 
歩みを止めたらもう二度と起き上がれなくなることも知っていた。でもその歩く方向も知らなかった。
とりあえず足を動かすことができれば何でもよかったのだと思う。人の波に溺れて、流されるまま仕事をやれば、自分の歩く先を確認する必要もないから。
その当面の利益の一致のために、高校の生徒会に所属することはとても適していた。必死に事務的に働き、仕事をやり遂げても先生にも生徒にも特に称賛されることも咎められることもなかった。金銭的報酬もなかった。そこでは自己満足と自己責任を原動力として、自分の存在があることで何も起こらずに円滑に組織が回って行く。いわば私は歯車だった。
何かに夢中になっていれば、歩くのをやめてはいけないという現実から逃げてずっと歩いていられる。闇雲に歩くことが、私にとっての生き方だったのだ。
 
生徒会の任期が終わった途端、歩き方を、いや生き方を知らなかった自分は糸の切れたマリオネットのようにぐしゃりと床に叩き付けられた。他の高校生なら青春の一言で片付けられるはずの生徒会活動が、私にとってはただの自分の進む道の取捨からの、つまり死からの逃避でしかなかったことを知る。目の前の目標を失っただけ、ただちょっとだけ疲れただけ、もしかしたら本当はそんなに休むつもりもなかったのかもしれない。
しかし、生憎私は上手な休み方を知らなかった。ここからはもう自由に生きていい。そう言われた途端、死に向かってひたむきに一直線だった私は目標なんて、自由なんて、端から持ち合わせていないことに気付いた。そして目標を見失った私は歩みを止めたまま、その場から一歩も動けなかったのである。
困った私はとりあえず、生き方の模索、という大義名分を背負った怠惰を選んだ。それは緩やかな死を意味していたのだ。
妹の死は甘美でもあり毒でもある。時に希望にもなり絶望にもなるのだ。
そして妹の死は、私を休ませて立ち止まらせる最大の言い訳になった。
つらい。ならもうがんばらなくていい。だってお前の半身はいないのだから。半身を失ったお前が幸福感を得られないのは当たり前だ。だって骨髄を与えることを苦とすら思わなかった癖に今がこんなにつらいのは彼女がいないからだろう?
それは甘くて吐きそうになるほどの猛毒だった。悪魔はそうやって甘やかしながら囁くのだ。私は死にたかった。だって元々死ぬために生きていたのだから。
何もしなければこんなにも簡単に緩やかに死んでいける。そう履き違えたその時の私に、一体これ以上の幸福があるだろうか。
母親は怠惰する私を詰った。責めた。でも届かなかった。母親が泣き叫び、妹を救えなかったのは自分だと、妹をあんな体に産んだのは自分だと、自責の念をどんなに嘆いても少しも届かなかった。母親を悲しませて悪いとも思わなかった。
あなたには幸せになって欲しい。何回も何回もそう言われた。
妹は幸せではなかったのか? あんなにも美しい死に顔をしていたというのに。
そして残念なことに、私は今の生活に何一つ不自由していなかった。未来がなくとも、このまま怠惰して短い人生を緩やかに死んでいけたらどんなに幸せだろうと願った。
 
あの元日の命日から、季節は何回も輪廻したが、実際は時間の流れは弧を描くのではない。直線だ。あの一点からただただ真っ直ぐ時は遠ざかることを、その時身をもって実感する。私は十五歳からひとつも成長していないし、そして絶望を知った十五歳は既に成長しすぎてしまったのだ。
身の丈に合わない悟りを開いた私は、そこでとうとう休むだけではなく、呼吸するのをやめた。都合の悪い希望と絶望から耳を塞いだ。そのうちその怠惰が自分でも苦しくなっても気付かない振りをした。
先に進んで希望を追い求めたところで二度と妹は戻って来ない。お前にとっての最大の幸せはとうの昔の過去にあるのだ。そう悪魔が甘く囁いていた。
 
三、
 
どうやったら美しく妹が人造できるかを、自分が表現者だと知った瞬間からずっと考えていた。
 
私は昔から家庭的にとても恵まれていた。
母親も父親も色々と寛大だったおかげで、欲しいものは何でも手に入ったし、やりたいことも何でもやることができた。幼いころから本を与えられ、勉強も人並み以上にこなせて、エレクトーン、スイミング、スキー、お習字、英会話教室などの習い事、委員会での意見力も統率できるリーダーシップも手にしていた。血を吐くような努力をしたこともないし、不自由のない人生だった。
その中でも一番長けていたのはマーケティング力を越した、ある種の洗脳力であった。
私は、自分の言葉には確実な中毒性があると確信している。人に自分の想いを真っ直ぐ伝え、人を自分の想いのままに共感させて、意のままに動かせるのだ。
その確信の根拠は、紛れもなく唯一無二の妹だった。
どうしてこんなにも姉妹で仲がいいのか。それは恐らく性格の一致的なものもあっただろうが二人の類似性はとてつもなく頑固だということくらいで、人目を気にして上手く立ち回る自分と、人目を気にせず我のまま立ち向かう妹では正反対だった気もしてくる。そもそも性格が一致したからと言って必ずしも仲がいいわけでもなく、類似しているから嫌悪する類も珍しくはないだろう。
では、どうしてこんなにも仲が良かったのか、というと趣味の一致であると断言する。
私が好きなものは妹も全部好きだったのだ。
最近色々な人と話して分かったことだが、私は人に想いを伝える、という中でも特に、人にものの魅力を伝えるというマーケティング的な意味で力を発揮する能力があることを知った。
人に作品の良さをアピールする、それだけでなく、ただ自分がその作品について全力で楽しむだけで、周りも感化されて興味を惹かれる。私自身すら無意識的なステルスマーケティングも含めてどうやら秀でているようだった。ゲームに少しも趣味のなかった友達がゲームを始めたのは自分が一番驚いたし、また、ある友達は、「よくそんなにものを深く考えて愛せるね」と私を皮肉った程だった。
したがって、そんな私の宗教のような宣教師のような毒牙を十二年間毎日受け続けていたのも妹だったし、その妹を世界で一番愛したのも私であった。
 
愛憎塗れた悪魔に囁かれて、絶望の淵に立って死ぬのを待っていた私は、そこで運命的な出会いをしたのである。皮肉にも悪魔と契約を更新するきっかけになったのは、泣き叫ぶ母の言葉ではなくて、たったひとつのゲームだった。
私は人の創る物語が好きだった。特にゲームという媒体が好きだった。小説もドラマも映画も漫画もアニメも好きだったが、ゲームは本当に殊更好きだった。
受け身ではなく自分で進まないと絶対にエンディングまで辿り着かない。そういう能動的な意味で小説も同じような表現媒体としてとても好きなのだが、ゲームはグラフィックという視覚的美しさも、バックグラウンドミュージックという聴覚的な美しさも、そして人の紡ぎだす夢も希望も絶望も描いたストーリーも全て内包されている。まるでゲームは総合芸術であるオペラのようだと思った。オペラを凝縮したような完成された小さな箱庭がとても好きだったし、更にそこには、自分がどのステージで楽をしたり、苦労をしたかどうかというそれぞれの経験や、誰かと共に遊んだという思い出まで内包されるのだ。私は人が作り出し人が色付けるそれを心から美しいと思ったし、それを愛していた。
勿論媒体としてのゲームの美しさは認識していても、それでもその中にもピンキリは存在し、駄目なものは駄目である。そしてもちろん至高の逸品は存在し、芸術作品において稀に脳天をかち割られる作品に出合うことがある。
それがその時、その作品だった。
そんな時、私はそれを運命だと確信する。
その物語に惚れるか惚れないかは、その出会うべき運命の瞬間に、その運命の作品に出会えるか、出会えないか、のどちらかでしかないと思う。単純な巡り合わせだ。それがない人は心酔できる作品に出会わないまま、一生を終えるのだ。
こんなゲームを創りたいと思った。溢れ出す感動のすぐ直後に襲いかかったのは、悔しさだった。どうすればこんなにも美しく醜く人間の愛憎を描けるのか、と憎んだ。
動機はたったそれだけで十分だ。悪魔はそんなものつくれるはずがないと囁くが、私の中の死への絶望は、生への希望へと形を変える。
変わったのは私の解釈の方だ。彼女の死はあの一点から少しも動いていない。
 
母親は私に幸せになって欲しいと言う。
人並みな普通の幸せなんていらない。私は違う。そんなものは望んでいない。普通の幸せは怠惰でしかない。
私は表現者だ。
創りたいと願った、その時から表現者になってしまったのだ。絵で文で言葉で自分に使える武器は全てを使いたい。全てを鋭く磨いておきたい。自分を刺し違えてもいい。怠惰という死を誘う悪魔が何を望むかそんなものは知らない。
私には描きたいものがひとつだけあった。
世界で一番愛する妹を。
私はただこの世にもう一回だけ、悪魔をただの人に戻したいだけなのだ。
私を甘やかし毒を与え怠惰させ殺そうとするその悪魔を。より完璧に。より美しく。
 
誓わせてくれ。怠惰を選んだ自分への罰だ。歩くことをやめた自分への罪だ。平凡な人生を送ることは私にとっては極刑だ。とうの昔に自分は悪魔の契りを交わしていた。
美しく創れるならどんな形でもいい。もしも錬金術師にでもなれるなら、私は人間の禁忌に触れて彼女のレプリカを人造していただろう。
そうやって彼女を人造する契約と引き換えに魂を捧げて、いつか死んでいきたい。納得できる彼女が創れないうちは何度だって這い上がってやる。
しかし、悪魔のかたちをした、愛する絶望は私に囁くのだ。そんなことをしたってわたしは帰ってこないよと。
一度はそれに甘んじた。創ったところでどうなると。創った自分がオリジナルと比較してより空虚感を感じるのではないかと。そうやって、妹に一生囚われて執着してやっとの思いで創った紙の上の彼女のレプリカは、二度とお前に笑いかけやしない。だいすきだよという言葉に頷きもしない。それでもいいのか、と。
それでいいのだ。
笑わないなら私が笑わせればいい。頷かないのなら頷かせればいい。そして愛していると言わせればいい。自分が完璧だと納得する彼女を創り上げたその瞬間、占めるのが空虚なのか幸福なのか絶望なのか誰にもわからない。
骨髄移植をしてから、私の血液が彼女に流れるおかげで、彼女の顔や体質は全て私にとても類似したものになっていた。晩年の彼女は私に生かされていた。まるで私の血を引いた私の子供のようなものになっていたのかもしれない。
それでいい。この契約の結末に待っている、今度こそ純潔な私の子供である美しい彼女を私は心から愛してやるのだ。
これが私のハイリゲンシュタットの遺書だ。






なんかほんと改めて今読むと、すごいなって思いますね。
あえてブログでぼかしてたこと全部ぶちまけてしまっててごめんなさい。変えようかとも思ったけれどもう推敲も面倒臭いし、このまま置いていてもいいかなって。
物語調にある程度脚色してるとしても狂気っていうかなんというか、ゾッとします。酔い狂っている……。
ブログを始めた当時は、まだこの考え方に少し囚われ続けていました。
ここ、というかまだ一ヶ月も経ってないんですけどやっぱり「彼女に囚われ続ける人生を今、敢えて選んでいるのは自分」って書いてあって、その根底が、この私小説にギチギチに詰まってる感じがあります。

書いた時は本気でこう思っていたのですが、こんなに真っ直ぐに生きられなくて結局諦めるんですけど、やっぱ負の感情に向かって人は生きられないんですよね。
今読んでて悲しくなってきて、当時、文章化したからこそこうやって激しい思い込みになってしまったのかもしれないし、でも文章化したからこそ振り返ることができたというのはあります。

こんなにも頑なだった自分が変わったのは、自分とは正反対の明るい人間と、自分より酷い暗い人間にそれぞれ会ったおかげなんですが、一人で閉じ篭ることの危険性を身を以て、感じています。

いやもしかしたら、今の自分だって本当は正しくないのかもしれないし、また変な方向へ突っ切ってるのかもしれないんですけど。
でもね。今の囚われない生き方を決めたのも自分だし、やっぱなんか体感として生きるのずっとずっと楽なんですよね!
肩とかめっちゃ楽だし、食欲もある!
囚われてる俺カッケー!より全然人生楽しい!!!

囚われるのを選んだのも、またそれをやめたのも自分の思い込みと決定で、自分のその時点の最善の自己決定をしているので、何一つ後悔したことはないです。
ただ、やっぱり一人で考えていると考えは歪んで、濁って、他者や自分を殺してしまうのだろうなあと思い出しています。

結局、人を救うのって、何気ない日常のゆったりとした時間で、使命とか復讐とか人造人間のためにずっと生きられはしないんですよ。
少なくとも自分は無理でした。

死ぬために生きることってやっぱり悲しいから、生きてほしい。
また、自己完結人間のことに帰結しちゃうんですけど、やっぱ最近また彼らについて考えたり、考えなかったりして過ごしています。
そんな感じです。
とりあえず過去のことにちょこちょこ精算をつけて、またアホみたいに楽しい日々を過ごしたいと思います。

最近ちょこちょこ感想とかも頂けてたりするのですが、ぜひブログにコメントとかあったらとても励みになります〜〜!
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