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人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

過去と未来

過去は繰り返して、未来を決定付けるのかな。


過去から人は逃れられないんだ。
親の影響は想像以上に強く、呪いで、誰にもわかってもらう必要はない。同情されると腹が立つ。何がわかるんだと。口出しなんてされたくない。お前には関係ない。
人との理解は難しい。そんな面倒臭い労力をかける気もないし、その先に愛があるとは限らない。だから一人で生きていくのだ、とある人に宣言された。

未来の幸せな可能性を信じないのは馬鹿だ。
わからない他人の痛みを勝手に想像して、知ったかぶりと自分の経験則だけで理解した気になって、周りに相談して勝手に悩んでる振りして偶像を押し付けて、そんなの、本当は最初から知る気がないのだろう。
相手の地雷を踏み抜く覚悟で言ってやってその先に理解はあるのだ、とある人に叱られた。


何が正しいのかわからなくなりました。

人と人との関係によって全てに通用する万能薬もセオリーもないのはわかっています。
それでも、自分がそういう心を開かない人間を前にした時、救おうと関わっていくのか、それとも本人の自己意思を大切にするのか。
二つの考え方は、正反対すぎて、そんなに広く心を持つことはできないと思いました。

自分はどちらになれるのだろう。
どちらであるべきなんだろう。
そんなことを考え続けていました。


考えた結果、自分はどちらにもなれないということがわかりました。
過去をそんなに簡単には切り捨てられないし、過去にそんなに縋ることもできない。


未来を選ぶことが正しいと分かっていても、過去に縋ることが間違っているからってそれだけの理由でやめることはできないんだと。

どんな過去だって自分を構成してきた要素として大切で、どんなに自分に害があって悪であって縋っててよくないものってわかってても、簡単に捨てられていたら、こんな難儀な苦しさを抱えて生きてないです。もっと素直に笑っていられる。
本当はずっと助けてって言いたかったけど、一人で決めて生きなきゃならなかったから、甘え方もわからなかったし、この寂しいのが普通だと思ってたから、一人でもきっと、実際、この先も生きていけるんです。

ずっと、世界が自分には厳しかった。
でも、世界を厳しいと決めつけて助けを求められなかった自分もきっと悪いんだね。
一人で寂しさを対処できるほどの強さがあったんだよ。強くてごめん。だから、歪んでしまった。

きっと、未来を選ぶことが正しいのかもしれないし、でも人間、過去を全否定して甘えられるほど簡単にプライドは捨てられない。そうやって生きてきたから。馬鹿だけど、馬鹿にしないで欲しいと思った。

自分が、きみに会った時もそういう頑なな人間でした。
でも、自分は、過去を大切にしたまま、未来を選ぶことができることを知ってしまいました。

だからこそ、過去に拘ってるきみのことを格好いいし、好きだと思うけれど、同時に寂しいとも思う。
こちらを向いてくれないの、友達としてやっぱり、悲しいよ。

何が正しいかなんて結局自分が決めることなんです。変えようだなんて、変わって欲しいだなんてそれはただのエゴ。
客観的に見て、どんなに未来を信じることが正しくとも、その濁った過去がきみを蝕んでいたとしても、未来を選べ過去を捨てろとは、自分には言えません。
どちらを選択するかは、結局きみの問題で、こっちが決めることじゃない。


それでも確かにこの世にはちゃんと愛は存在しているし、呪縛から逃れて好きな未来を選択して欲しいとも思う。
辛い時は辛いって言っていい。
見てて、痛々しい。
生きるのを楽しむことを我慢しなくていいんだということを知って欲しい。

きみは知らなくても、自分はきみに救われたし、こうやって自分に向き合う機会ができて、今まで逃げてきた過去と未来に対して、真っ直ぐ考えることができている。
だからこそ、自分は、きみを必要としている。

きみが43歳で死ぬかどうかはきみの問題だが、その手を引いて止めたいと思うのはわたしの問題だ。

味方になりたい。
きみの味方で一生い続けるし、信じる。
本当に辛いときに手を差し伸べられる存在でいたい。
それだけ、知っていて。

どんな形であろうと、きみの未来に幸がありますように。