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人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

大好きなものを大好きだと言える幸せのこと

みんな、何の為に旅をするのだろう。

目指す観光地、食べ物、体験、お土産、その場所での新たな出会いとか、人それぞれあると思うんです。でも、共通してるのは、自分の暮らす世界とは違う、新たな場所に踏み出すことが旅の楽しさで、目的なのかなって考えます。

でも、私の今回の旅行の目的は、意味のないことを求めることでした。

そして、大好きな北海道を大好きな人達と行くことでした。

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私は今、20年間育った北海道を離れて暮らしています。東京の大学に通い、そこで出会った、東京出身の女の子1人と男の子2人と旅行してきました。男女4人で4泊5日のぐるり一周の旅。札幌から出発して、富良野と美瑛を経由して旭川、丸瀬布サロマ湖を経由して網走、摩周湖と釧路を経由して浦幌、そして十勝から新千歳まで帰ってきました。自分も、こんな大旅行は10年振りでした。

父と母は、旅行仲間同士の紹介で出会い、2人とも本州出身なのに、北海道を旅行したいが為に、北海道に移り住んでしまう、狂ったような旅行好きとバイタリティを兼ね備えていました。だからこそ幼い頃から、北海道中を連れ回された自分が旅行好きにならない訳がありませんでした。

両親と、私、そして妹の家族4人で、色んなところを巡り、その中でも毎年夏休みに行っていた北海道ぐるり一周の旅はとても好きでした。

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これは私が10歳のときに夏休みの自由研究で書いた旅行記の地図です。まさか10年経って、自らが旅行に行く為に活用することになるとは少しも思っていませんでしたが! 全てを踏襲してはいないけれど、10年前の記録と思い出を辿りながら、今回の旅行計画を立てていました。

 

改めて思い出していたけれど、家族4人で大きな旅行をしたのは、これを含めてあと2回ほどしかありませんでした。旅行をしなくなった、いや、できなくなった理由と、北海道を離れたい思った理由が、深く絡みついて呪いのように私を永らく蝕んでいました。

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今回の友達4人での5日間の旅行に特別な意味は何一つ持たせたくなかったし、振り返った今、ただただ楽しかったなぁという感想しかないです。笑ってはしゃぐ3人を見るのが、私は何よりも幸せで堪らなかったし、自分で踏襲させておきながら、家族旅行のことを思い出すことはありませんでした。

「思い出の上書き」がされたのだと感じています。

「どうせ別れが見えているのなら、初めから出会わない方が良かったのではないか? 全ての出会いは無駄なのではないか?」

そんな考えたって今更どうにもできないことに苦しみ、人と出会って関わることが、ずっと怖くて仕方ありませんでした。

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今、私の妹はこの世にいません。8年前に小児白血病を発症して、闘病生活の末、6年前に亡くなりました。治ると信じていたので、死ぬなんて少しも思ってなかったんです。

大好きだった妹が亡くなった途端、今までの幸せな思い出の全てが、牙をむいて鋭く突き刺さりました。

北海道の家と自分と妹の共通の部屋、妹の好きなもの、嫌いなもの、一緒にやったゲーム、一緒に行った旅行、姿と声とその温度のあたたかさと、妹が生きた証と妹に関わることの全てが、私を、殺しにきました。

魔物は心の中に何よりも綺麗な思い出として巣食っていて、どこに行っても何をしていても「お前の幸せは妹と共に過ごした時間以上に存在しない」と嘲笑い、私は、私自身を妹の死に寄りかかるようにして生きることを選択し続けました。生きたくなかったんです。

妹との思い出が最高値だと決め付けて、このまま心中したくてたまらなかった。

 

私の生きる理由は、妹が病気になるよりずっとずっと前から妹と共に生きることでした。妹を世界で一番に大切にすることが、私の幸せの形でした。

家族の形として、3人で一緒に暮らして幸せになれる道がどうしても想像できなくて。父と母は望んで北海道にきて、旅行し続けることが20年前から変わらない2人の人生で、そこに居続けることも私の人生の選択肢としてはありました。

でも、そこに必然性はなかったんです。当たり前の家族の形がなくなって、どこか何かが足りなくて、どうしても北海道にいなくちゃならないわけじゃなくて、いようと願えば北海道で生きることはできるよ、みたいな。

北海道に残るという選択を両親は私に強要しませんでした。

 

きっと本当は側にいて欲しかったのかもしれない。離れるのは寂しい。けれど、亡霊のように過去にしがみつき、未来を見つけられない私がこのまま、淋しい両親の望むままに側に居ても、意志のない人形のようにしかなれなくて、傷付け苦しむだけだからと、私が離れたいと思ってしまいました。

妹がいなくなって、だから私が妹の分までずっと一緒に居続けて、だなんて、そんな先の見えない生産性のない家族ごっこを続ける虚無を私も、そして両親も望んでいなかったんです。

 

私が両親にあげられるものは何だろう。

過去を捨てられない私がどうやったら、未来に希望を抱いて生きられるんだろう。

 

私は、北海道を旅立ちました。

もう一生ここに帰ってこなくても、北海道を捨てたくない。大好きな思い出の詰まったこの場所を、また愛せるようになりたい。

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そして、ちゃんと北海道に帰ってきて旅行をすることができました。

私がもう一度この地を踏み締めて、3人の友達に北海道を楽しんでもらうだけの旅行。

意味を求めず何も考えないままに、北海道をぐるりと駆け巡ることがどんなに楽しくて幸せで、難しいことや切ないことを考えなくていいということが、私にとって途轍もなく意味のあることだったんです。

 

奇跡だと思っていました。大学に進学してからずっと。前に向かって生きてしまっていることが。諦めなかったことが。

友達と環境に恵まれて、日常に人が溢れて、必要とされて、恋をして、全ての出会いに意味を見出していました。人を大切にすることで、何よりも自分を大切にすることができていました。

妹の死を認めて向き合いすぎた余りに、自分の生活には四六時中妹の影がつきまとい、私の首を優しく絞めていましたが、もう妹のことで苦しむことがなくなりました。

妹との北海道の思い出は今でもキラキラと輝いたまま全部覚えている。その上で、妹の死は墓を建てて北海道に存在している。

じゃあ、私の未来は?

 

旅行中、大型台風から逃げるようなギリギリの工程だったのですが、実際台風の影も形も感じないくらい天候に恵まれた旅でした。

そこで、虹が見えたんです。

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私も長らく旅行している中で、北海道の地平線で綺麗な虹がかかったのを見たのは過去2回だけでした。3回目が、まさかこの旅で見られるとは思っていませんでした。

どこまでも広大な大地に掛かる虹は、変わらず私の愛した北海道でしかありませんでした。

 

大好きな人と大好きな北海道を見られる以上に幸せなこともなく、みんなも本当に笑顔で楽しんでいました。大好きなものを大好きだと素直に伝えられることが、本当に嬉しくて堪らなかったんです。

大好きなものを大好きだ、と胸を張ることに、えずくほどの痛みが走るのに6年間苦しみ、迷い続けていました。

けして還らない大好きなものなら、じゃあもっと楽しいもので上塗りして描き直して色を塗りたくってたくさん増やしてしまえばいい。

今回の北海道旅行だけじゃなくて、その友達3人に、私は上京してからの日常を預けて色んなことを見出し、教わり続けていました。

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旅をしたことで特別なことは何もなくて、いつもの日常の延長線上に、今回の旅行があったんだなあと。

でも、ただの日常が、幸せが続くことを私は、当たり前ではないことを知っているから、どうしようもなくかけがえのないことだ、とも感じていました。

この旅行は日常の先にあったけど、奇跡だった。そんなことを旅行で感じたのは初めてのことでした。

私が、今回楽しく北海道を回れたのも、両親と、そして妹と、楽しく回った思い出が経験としてあったからであって、全ての楽しかったことに無駄なことなんてないのだと。

両親に何が返せるだろうか、とずっと考えていたけれど、本当は分かっていたんです。

「あなたが楽しく笑顔でいてくれることが一番の幸せだよ」と、2人は繰り返し言っていました。

旅行先での一期一会の出会いを30年も続けてしまうような、人と人との繋がりを何よりも大切にする母でした。

たとえどんなにその時に些細な出会いでも、その時は分かり合えなかったとしても、10年20年30年それ以上経った時に、無駄なことなんて何一つなかったし、あの時のことが意味を持っていたとわかる、そういうずっとずっとずっと続く繋がりを人と築いていきたい。

だからみんなを連れて行きたかったし、人との出会いで何か少しでも感じることがあって欲しいと思っていたし、両親にとっては何よりも喜ぶことだと知っていました。

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何でもいいんです。

行ってみたいところに行ってみるとか、昔大好きだった場所をまた回ってみるとか、大好きな人の大好きな場所に連れて行ってもらうとか、同じ場所でもその場所は色を変えて存在しているし、いくらでも上書きされて増えていくことができると。

北海道の広大さはやっぱり一度は見て欲しいと私は思います。どこまでも広い、誰もいない地平線と水平線と空と海の中で、叫ぶなり笑うなり泣くなりしたらいいと思うんです。

 

その場で意味はなくとも、日常が少しずつ積み重なったその先の、楽しかったね、っていう事実と思い出が、あとで大きな意味と救いになって返ってくる。

過去を懐かしむのではなくて、あの時が今に繋がってるんだねって、そうやって大切なことに今じゃなくていいから、いつか気づいて欲しい。

ただそういうことでいいんだと思いました。

気張るでもない。ただやりたいから、楽しそうだから、行きたいから、行く。

私の大好きな北海道、お勧めです。

意味を求めない旅、いかがでしょうか?