人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

経験則に囚われるな

人間、年を重ねて経験値を重ねた方が人として厚みが出るとか、若い人は経験が足りない!とか言いますよね。 

経験が多いからたくさんのことを知っていて、自分の経験則に従って正しい判断を下せる!だからすごい!年長者は尊敬すべきだ!

果たして、経験を重ねていることは必ずしもそう偉くていいことなんだろうかって思います。

 

やったことないからこそできることって案外あると思うんです。

例えば、バンジージャンプにおいて、前にバンジージャンプを飛んだことある人は、その恐怖を知っているから怖くて飛べなかったり、逆に自分が大丈夫だったから人に対して「自分は余裕だったから大丈夫!」なんて無責任なことが言えてしまったりする。

でも、一回目なら何も知らない。だから怖がらずに飛べるかもしれない。無知であるから、その思い切りの良さと、挑戦への踏み出す一歩ってすごく大切だと感じます。でも二回目からは、前回の経験がどうしても生きてきてしまうんですよね。二の足を踏んでしまう。

人は、そうやって経験値を積み重ねて生きていくとは思うんですけど、その反面で年をとればとるほど慎重になるのは、自分の経験則を信じるから、挑戦が怖くなるからなのかもしれません。

それってすごく怖いことだと思いませんか?

経験すればするほど、自分の中で正解を作り出してその規範から出られなくなっていく。

人間は自分の体験したことを無条件に信じてしまうことが多くあるのかなって。自分が経験したから、絶対的に正しいと思い込んじゃうんですけど、あくまで「自分のときはその時はそうなった」ってだけで、すごく広い世界や他の人と対比したら、ただの一回きりの一例でしかなかったりする。

 

例えば、学校でのいじめって、報道されると誰でも結構、勝手に批判して教師を叩くんですよね。いじめって、別に学校だけで起こってることではないじゃないですか。そしてその全責任が教師に必ずしもあるわけじゃないとも思っています。

学校環境、特に義務教育は、日本人誰もが経験したことあるから、みんながみんな、自分の経験則に基づいて好きなことを言いやすいんだと思います。 

自分が過去いじめを受けて、つらい体験をしたとしても、それはただの一例でしかないのに「自分もこうなったからほらやっぱり学校なんてクソなんだ」と叫んで。教育って専門的資格が必要なのに、教育を何も知らなくても、自分の経験と照らし合わせて、簡単に叩けるんですよね。

自分が経験したから全てそうなるんだ!っていうのは、凄く視野狭窄で自分しか見えてない考え方だと思うんですけど、案外世界にまかり通っている正論な気がするんです。

 

経験則が悪いわけじゃなくて、経験則に囚われることが何より怖いと思っています。

そうじゃなくて、経験を増やせば増やすほど、一緒に選択肢も増やすべきなんです。色んな経験をしたからこそ、じゃあこの時はこうできるし、でもこうなる可能性もあるかも、ってたくさん自分の中での余裕を持てる。

選択の幅を広げること。

経験すればするほど、その経験を生かしてたくさんのことをまた始めよう。他の結果を探してみたいって、そういう経験則の使い方をしたいと思っています。

歳をとるほど、頑固や臆病になるんじゃなくて、ずっと色んなものを選択できるようになりたい。その為に色々なことを経験してみたい。

 

もう一例、経験則に強く縛られる環境下として、家庭という社会的組織があります。

学校より家庭の方が、経験則での思い込みはより強いと思っています。学校は最悪逃げられるんですけど、家庭からは逃げられないし、逃げて距離を置いたとしても血縁という呪いは、絶対的に消せない。

そんな家族の経験則について、ずっと考えていることがあって、それは、「夫婦仲と子どもの結婚へのスタンスに関連はあるのか」ということです。

 

ある人が「夫婦仲が良すぎると子どもの結婚は失敗する」と言っていました。

そして自分の周りには「夫婦仲が悪いから自分は結婚願望すらない」という人がたくさんいます。

これはどういうことなんだろうと、ずっと考えていました。冷静に考えれば、親の結婚と自分の結婚に因果関係なんて存在するはずがないんですよ。でも、そこになにかしら、法則性みたいなものが生まれているのならば、これはきっと親という経験則に子どもが縛られているからなのかなと思いました。

 

幸せな家庭は、家庭というものは全てが幸せだと思い込んでいて、その理想をそのままぶつけるから、うまくいかなくなるのではないか。父親がやってくれて嬉しかったことを夫にもやってほしい、それがあるべき父親と家族の形だと疑いもせずに信じ込んで。父親と夫は違う人間なのに。

幸せという経験則に基づいてそれを押し付けている。

 

家庭環境に恵まれていない人は、両親が仲違いし、その姿を一番近くで見ているから、家族はこういう苦しいものなんだと思い込んで、希望を持てなくなっている。どうせ結婚してこんな失敗をするなら一人でいた方がましだという。また同じことを繰り返すはずなんてないのに。

不幸という経験則に基づいてそれを決め付けている。

 

どちらの場合も「自分がそうだったからまたそうなるはずだ」と思い込むことが弊害になってるような気がしてなりません。

 

なんかこれは国民性なのかもしれないですけど、日本人って一度の失敗に対しての糾弾がとてつもないですよね。人は何度だってやり直せるはずなのに、一度の失敗をこぞって批判して追い詰めて辞めさせる、みたいなことがあって。偉い人の辞任とか死刑制度とか、もはやかつての武士の腹切とかもそんな気がしてならないです。

当たり前とか正しいとか間違ってるとか、それもやっぱり主観的だし、みんなが指示する経験則だからってそれが最善だとも限らない。

失敗することが怖いんじゃなくて、失敗したことで挑戦をやめてしまうことが何よりも怖くてたまらない。一度の失敗で未来の可能性をすべて踏み潰すなんて、そんな悲しいこと。

同じ失敗を怖がるのも、自らの経験則に基づいて囚われている何よりの証拠なのだと思います。

 

大人になってたくさんのことを経験すればするほど、こうなるんだって思い込んで頑固になるんじゃなくて、たくさんのことの中からたくさんのことを選択して生きられるようになりたい。

これが絶対的正解だ!っていうのを用意して、もしそれが正解じゃなくなった時が怖いし、多分きっと立ち直れない。

それなら、どれか一つを正解に決めるんじゃなくて、色々な選択肢を用意して、正解や当たり前に囚われずに生きたい。

その方が個人的には幸せとかどうこうってよりも、楽に生きられるなあと思っています。

 

こんなに経験則に囚われることはよくないよくない!とか思いながら、なんと自分も無意識下で経験則にめちゃくちゃ囚われていたことに気付いて、怖くなってこの文章を自戒のために書きました。

ほんと無意識だったんです。無意識で人は自分の経験に囚われる!!!うわあ!!!!!!

同じことを繰り返さない為に、そこから一歩踏み出す勇気がやっぱりほしいし、忘れないでいたいと思いました。