人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

想い出で色付けられるゲームこそ、名作と言えるんじゃないだろうか。

ゼルダの伝説時のオカリナをクリアした。

 

一足早い春休みを迎えたので、部屋を掃除して発掘したゲームを戒めのように積み重ねていた。その塔は見たまんま積みゲータワーとなって、目の前に聳え立っていく。

ゲーマーを自称してはいるものの、買ったのにクリアできていないゲームが30本近くあるのは、長年ゲーマーとしても悔しかったし、ずっと胸の中につかえた痼りのような何かとして処理仕切れていなかった。

だからこそ、春休みという長期の時間を利用して3年前に始めていた「ゼルダの伝説 時のオカリナ3DS」をクリアしようと思い至り、手を付けた。魂の神殿、ラストダンジョンの一つ手前のところで止めていたのは覚えていたし、自分が何故倦厭していたのはわからないくらい、わりかし、するするとボスを倒し、つい先日、ラスボスを倒してハイラル世界に平和は訪れた。

3年越しの、いや、自分にとっては、7年越しのクリアだった。作中で、主人公リンクはガノンドロフを倒すため、マスターソードを抜きに時の神殿に辿り着く。しかし、マスターソードの力にリンクの肉体が耐えきれず、勇者はそのまま7年間の眠りについてしまう。

自分が、時のオカリナを始めたのは、WiiでのVC配信(時のオカリナは64のゲームだが復刻版としてWiiでのデータ配信を任天堂は行っている)からであって、その頃からずっと挑戦し続けていた。最初のダンジョンのデクの木サマの死を何回繰り返したかわからないくらい見届けた。一番進んだのも、大人時代、一つ目のダンジョン森の神殿までだった。そこから数えて、約7年間。10回以上のリセットと挑戦を繰り返してきて、昨日、この手でガノンにトドメを刺し、悲願のクリアをしたのだった。

でも、自分は、オカリナのエンディングをずっとずっと前から知っていた。時のオカリナというゲームは、記憶する限りで、妹が亡くなる直前にやったゲームのうちの一つだった。

7年前、妹がオカリナをクリアするのをずっと、私は隣で見ていた。

だから、全部結末もわかっていたのだ。

 

そもそも、積みゲーなんてやってもないゲームが溜まったのも、妹の入院がきっかけだったと思う。病院なんて監獄のように暇だから、母は娯楽の為にゲームを妹にたくさん買い与えていた。元々自分たち姉妹はゲームが好きだったが、特に妹は入院を通して輪をかけてゲーム好きになったと思う。ゆっくりと癌に蝕まれていく平坦な毎日の中、ゲームをやることでしかカタルシスを得られなかったというのもあるのかもしれない。そのくらい妹の日常はつまらない終わりの見えない地獄でしかなくて、それでも私も、そして、妹もゲームが大好きだった。入院がそれを助長したとしても、確かに自分たちは、ずっとずっと小さい頃からゲームが大好きだったのだ。それだけは本当だった。

休日は病室にDSを持って行って、妹のベッドの側で泣きながらポケダンをクリアした時は、看護師さんに白い目で見られた記憶がある。妹はとっくにスペシャルエピソードなんてクリアしてたから「いい話だと思ったけど泣けなかったよ。やっぱり姉ちゃんは涙脆いんだね」と笑っていた。妹はゲームどころか創作物で泣いたことはなかったけど、私は昔から涙脆かったから、それこそ病気になる前、Wiiスーパーペーパーマリオを二人でクリアした時は私だけがボロボロに泣いてティッシュが手放せないでいた。

うちはWiiを二台持っていたし、自宅用の私たちのクリスマスにサンタさんに買ってもらった白いWiiと、妹の病室用の黒いWii。黒いWiiの方はあんまり私は稼働させてなかった。病室に行っても二人ではWiiはやらなかったと思う。大体話すか絵を描くか二人でDS通信するかそんな感じだった。Wiiでは毎日欠かさず、妹はどうぶつの森をやっていて、村の環境を保ち続けていたと思う。死後、花だけ丁寧に家に閉まって結局今はあの村は荒れてしまっているのだろう。マメじゃなくてごめんね。

あと、入院していた時は、中古ゲーム屋に行って、母と二人で、妹のためのゲームを片っ端から物色した。その時にカゴに入れたのが、ドラクエ4とか黄金の太陽とか、あと、MOTHERだった。妹がやっていたその多くのゲームを私は未だクリアできないでいる。これは別に妹のことを思い出してしまって、クリアするのがしんどいとかではなくて、単に自分が、本当にその時には欲しいと思って買っていなかったからだ。選ぶゲームに自分の主体がなかった。妹の暇潰しのためだったから。唯一、自分もやりたいと思って買ったのが、MOTHERだけだった。滅多なことでは泣かない妹も、MOTHERだけは本当に大好きで、エンディングで泣くほど全てが好きだったと思う。特にMOTHER3は兄弟、家族愛の話だから、今考えると奇妙な因果だなあとも思う。この前妹の遺品を整理していたら、大体の好きなものに必ず「家族」と書かれていたことを見つけた。

今ならもう少し、ゲームには詳しくなったから自分も妹も好きなゲームをちゃんと選んであげられると思う。ゲーマーとしての自分の意思に削ぐわないままカゴに暇つぶしとして投げ込んだゲーム。 その適当に選んでしまったどれもを大体クリアしていた妹は、自分よりずっとゲームが上手かったのだと思う。自分が特別下手くそなのもあるが、少なくとも妹が12歳でクリアしたゲームをこちらは21歳でクリアしたってことは、やっぱりそういうことだったんだと思う。それでもまだ、ギリギリスマブラだけは勝てていた。でも真面目に戦うよりは、モンスターボールだけに縛ってポケモンバトルをしたり、スタフォ勢の会話コマンドやスネークの通信を試したりしている方が多かったかもしれない。それこそカービィのエアライドとかでも、ハイドラとドラグーンどっちが強いのか両側から最高速度でぶつけて試したこともあった。下手とか上手いとかじゃなくて、なんかアホみたいにゲームで遊んでいた。

 

そんな中でも、時のオカリナは、病室でやっていたゲームではなかった。骨髄移植が終わって退院して、一年間奇跡的に学校に通えていた、妹にとっても自分にとっても幸せな最期の一年間。その時に、居間でテレビをつけてWiiでやっていた。本調子ではなくて学校を休んだ時、なのにゲームだけは平日の昼間からやっていたから。そのダンジョンではわりかしサクサクと、怖がることもなくクリアしていたように思う。自分はゼル伝はめちゃめちゃ苦手な部類で、今回やり直していた時もホラー要素にヒィヒィ言いながら泣きながらクリアしたからこそ、比べて昔から妹はそういうことには滅法強かったと思う。絶叫マシン大好きとか、スキーでは必ず直滑降しかしないとか、肝っ玉の据わったような命知らずなところもあって、そういう、度胸があって頑固なところが自分はすごいなあと尊敬していた。当時小学生の割に、って話ではなくて人間としてただひたすらにひたむきで強かったと思う。

妹は時のオカリナをクリアしたあと、続編にあたるムジュラの仮面を途中まではやっていたけれど、結局クリアできなかった。そうやってやりかけのゲームがいくつかあることを知っている。ポケモンのブラックだって全部のポケモンを集めることはできなかった。死後、妹のゲームは実家に置いてきているが、共有していたゲームは全て自分が引き取って管理してしまっている。起動するたびゲームデータが生々しく妹の軌跡を写す。いつか、私こそ、ムジュラの仮面をクリアしたいと思っている。

妹が死んだ時、もう二度とゲームができないかと思った。本当にゲームが大好きで堪らなかったからこそ、ゲームを見るたび、そしてやるたびに妹のことを思い出した。スマブラがもう二度と家ではできなくなった。

それでもゲームが好きな気持ちはなくならなかった。そのくらい好きだった。ゲームを語る相手がいなくて、さみしくて、ネットの海に飛び込んだ。顔も名前も知らない、そんな相手とのゲームの共有を楽しんだ。ゲームを好きなら誰でもよかった。おかげで今でもゲーム仲間はいて、ゲームを嫌いにならずにいる。呪いなのかとも思った。でも、それでも、ゲームが好きだった。

 

だからこそ、そうやって想い出深いからこそ、時のオカリナをクリアして、その最後のセピア色のゲーム画面を見た途端、 ああこの画面を妹と一緒に見たなあ、これがずっと見たかったんだなと思い出せてしまった。果てしなかったけれどどうにか7年かけて一人でも辿り着けてしまったし、時のオカリナのストーリー、システム性、BGMどれを取っても歴史的神ゲーであるということがゲーマーとしての視点からは分析できてしまったけど、それよりずっとずっと色濃く妹の想い出が浮かび上がって来たことに、私は何よりも驚いた。

 

名作ゲームってなんだろう。

グラフィックが綺麗だとか、BGMがいいとか、ストーリーが良いとか、やり込み要素が多いとか色々あるし、たった30年ぽっちのファミコンからのゲームの歴史としていくつも確立している。小説とか映画とか遠く昔から語り継がれて来た娯楽作品とは違って、ゲームの歴史は浅くて短い。それでも、ゲームが愛され続けるのは、こうやって想い出としてつよく遺るからなんだと思う。

妹と話したオカリナの美しい旋律、白熱したエポナレース、闇の神殿の船の動かし方、代わりばんこにやった流鏑馬イベント、ガノン城から逃げ出す二人、最後のセピア色のクリア画面。そのどれもが、0と1のデータでしかないのに、そこに付与された想い出はどれも本物で、フィクションの世界の中に確かに色付けられていく。

小説だって漫画だって映画だって想いを抱いてなんぼなんだけど、それでもゲームだけは、物語が進むとともに感情が溢れ出して、想い出をもってしてゲームが完成されるのが、美しくて、好きで好きでたまらない。

名作ゲームってそういうことじゃないかなって思った。時のオカリナ、すごくすごく難しいゲームだけど、だからこそ、その中で悩んで苦しんで戯けた中で、自分だけの思い出ができていく。だから自分はゲームを愛しているし、人にゲームを勧めるときは、「このゲームであなたに感じて欲しいことがあるから」と願ってお勧めしている。

 

ゲームを嫌いにならなくて良かった。ゲームがあったから妹の想い出はゲームに生き続けているし、私は生きていられる。もしも生きていたら、未だに変わらず二人で楽しんでゲームできてたとは思うんだけどね。あなたは絵を描くのもうまかったから多分二人して楽しく絵を描きながらゲームをやり続けていられたと思うんだけど。

ゲームが楽しいから生きるのは楽しいし、残念ながら、あなたが死んだ後もめっちゃ面白いゲームばかりでてるからな!参ったか!一緒にやりたかったよ!

一緒にできないのは残念だけど、だからこそ自分はゲームをやり続けていくし、周りの人と確かに生きていきたいと思うよ。ごめんね。どうか、よろしくね。許して。

時のオカリナ、確かに名作だった。

こんなゲームがクリアできたあなたはやっぱり私なんかよりすごくて賢くて最高の妹だったよ。

ありがとね。