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人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

誰でもいい、なんていう悲しい連鎖を断ち切れ。

人間に代替はきくのか、ってことをずっと考えてた。

「あなたの代わりなんていないから死なないで」なんて言葉は自殺を止める常套句としてありふれてる。命に代替も何もないことはみんな知っててとっくにわかってることだ。

 

それでも、誰しも「ここにいるのが自分である必要があるのか」って考える瞬間があるんじゃないかって思う。それこそ友達同士でいても、言ってしまえば彼氏や彼女でも、別にここにちょうどよく嵌る立場が、他にあれば、自分、である意味も必要もないんじゃないかなって。自分がここに嵌ったのもタイミングが合ったからだって。一緒に学校でつるむ存在、ただ誰でもいいから好きだと囁いて抱きしめてくれればいい存在。その人間関係に亀裂が入って失敗したら立場を取り替えればいい。切れた人間関係は断絶するか、知らず知らずのうちに疎遠になっていく。くるくる、くるくる、その立場が必要だから代替のきく人間関係を探し続ける。一人はさみしいから。

 

この人がいないと回らない、っていう集団や組織は存在しないと思ってる。一人欠けて倒れてしまう組織は所詮、その程度の維持不可能なものだったのだ。特別な立場を求められて、そこで叶える人間関係は確かにたくさん存在していて、そこで立場を果たすことで生き甲斐とか、生産性とか、組織の存続に繋がっていく。でも、そういう立場の代わりはいくらでもいても、どうしても、存在の代わりはあってはならないと思う。

 

「この人だから意味があった」って思える、代替とかそんな話ではなくて、意味付けの話。「この時、この人がそばにいてくれたから、だからこんなにも救われたんだ」って感じることができる、そんな素敵な関係性が確かに存在してることを知った。そこに友達とか恋人とかそういう押し込むような立場や枠組みなんてひとつもなくて、ただ「わたしと、あなたが、ここにいることに意味がある」と思えたから、代替のきかないというか、そもそも、代替という概念のない人間関係があることを感じた。

 

人間関係って鏡写しで、相手が自分である必要を感じてないなあって思うとき、ほんとは自分が相手である必要を感じてなかったりする。お互いが壁張って、代替がきくよね、もし大切にして裏切られた時に傷付くのが怖いからってどっちも日和ってるから、やっぱりどちらかが、壁を壊して信じることを始めないと始まらない。そこで、ハンマーを持って壁を壊せる勇気を自分は持っていたい。裏切られても相手を詰るのではなく信じた自分を責める。信じたことにちゃんと責任を持ちたい。

 

誰からも自分が必要とされてないと思うとき、ほんとは、自分が誰も必要としてないのだ。それかほんとに誰でもいいと思ってる。誰でもいいから自分を肯定してくれ、だなんて、それは「誰か」っていう立場を求めてるだけで、特定の存在を求めてるわけじゃない。だからいつまでも寂しいままだし空虚が埋まらない。

誰でもいいと望んで埋まった、その「誰か」の立場は、代替がきいてしまうから。一生顔のない誰かを求めて彷徨って、でも人間ってこんなもんだよね、大人って寂しいよねって、みんな諦めてる気がする。すごく悲しい連鎖だなあ。

 

 関わる人間の全てが代替がきかない存在だ、までは言い切れないし、そこまで人を無条件に愛せない。それでも、その中の少しでも、この人だから意味があったんだって信じられるような存在が誰しもあって欲しい。

 

信じるって何だろう。この人はこういう人だって決め付けたりこの人ならこんなことはしないっていうのは信じるってことじゃない気がする。信じてるって伝わらないし、そもそも人のことなんて完全に理解なんてできない。

ありがとう。あなたでよかった。あなただから意味があった。そうやって言い続けることも信じるってことになるんじゃないかな。信じてることを伝えられるんじゃないかな。

 

この人は都合よく側にいたから私であることに意味を感じてないんだなって、思う瞬間がたくさんあったけど、多分それは私も同じように思ってるんだと思う。誰でもいいから慰めてくれと泣いて床に伏せてたけど、別に全然誰でもよくなかった。

誰でもいい、って枠を埋めることを求めるんじゃなくて、あなたがいいって存在を求めたい。その意味付けをしたとき、そしてその意味付けを相手もしてくれた時に、すごく満たされると思う。人を信じることは怖いけど、そうやって悲しい連鎖をどうか断ち切って欲しい。