人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

今のあなたを見ていない

人間「変わりたい」って思ってもそんなすぐにハイ!変わった!って変われないんだよねってことは、私もそして周りを見てても、改めて実感してる。でも、変わりたいってもがくことが大切だ。変化を恐れないことが、人間を成長させるし、現状で満足しない向上心、それがある限り人は強く楽しく生きていける。

 

私自身、良い方向に変わってるぞ〜〜!ってことは、それこそちょうど一年くらい前に気付いたんだけど、そこからも、もがいて苦しくて諦められなくて、ってことを今日まで繰り返しててやっぱりそれが吐きそうなほど辛くて……っていうのは、この軌跡を見てもらえればなんとなくわかると思います。

私もここに書いてるからこそ忘れないで覚えていられる。過ぎてしまった出来るようになったことは当たり前になっちゃうけど、ここにこうやって自分の弱さを書いてあるからこの当時の自分ダメダメじゃんって、確かめられる。忘れない。そういうチラ裏でいい。自分の人生においてのターニングポイントの色々がここには書いてあると思う。

 

やっぱり、自信が持てなかった。

誰かの特別になれる自信は未だにない。目の前の大好きな人に対して、私じゃなくていいんじゃないか、この人にはもっと他に良い人がいるんじゃないか。だって私のこと選んでくれないから。私はこんなちっぽけな無力な人間だし、目の前の人、一人救えないし、結局はあなたにとってただの他人だし、私が劣ってるとかそういうことを抜きにしても、この人にとっての特別は私ではないのだと絶望しながら過ごしていた。それでも中途半端に関わりをやめられなくて、縋るように関わっていたら「固執や依存してるのはお前の方だ」と言われた。否定したかったけどその通りだと感じた。未だにその言葉が呪いみたいにくっついてる。固執が悪だと言われてから、それでも特別に好かれたいよって続けられる強さは、私にはなかった。

 

その人には大切な人をいれる枠がなくて、それこそ、友達とか恋人とかそういう大切な人をつくるという発想そのものがない。はたから見てて家庭事情とか本人のこととかも含めて、色んな意味で一人で生きていけないように見えるのに、というかそもそも一人で生きていける人間なんて存在しないと思ってるのに、一人で生きていきたがってて。

だからこそ、とりあえず大切な人をいれる枠をつくりたい。友達でも恋人でもなんでもいいから。その枠の中に、できたら入りたいけど、自分は最悪入れなくても良いからって思ってた。

 

私の最近に当てはめると、じゃあ枠ってなんだ?って思ってもいて。それこそ最近友達の彼氏とか彼女とかとすごく仲良くなってしまって、これは友達という枠とは違うけど、人と人の関係性として確かに情は存在していて。これを友達って枠に押し込むのは違うし、押し込める必要もないわけであって。

なのに私は一番大切にしたい人のこと、頑張って友達とか恋人とかそういう枠に無理やり押し込めようとしてて、どちらにもなれなくて押し込めきれなくて苦しんでた。

そもそも、そうやって、枠を作っちゃったらそこに何かを押し込めて埋めない限り、その人は満たされないから、それこそ規定の幸せの押し付けじゃん。結婚したら絶対幸せになれるとか、子どもは必ず産まなきゃならないとか、同性愛は異端だとか、独り身は寂しいとか。

 

「結局、友達とか恋人とかそういうのは結果でしかなくて、ただ寄り添うとか手を引くとかそういうことをしなきゃならないというか、出来るというか、したいと思ってるのは、あいつを好きでいるあなたしかいないんだよ」

そう友達に言われて、私は、あなたのまだ誰も知らない未来を杞憂して怖がってて、今のあなたを見ていないんだ、って思い知らされた。

いつか誰かが、じゃなくて、今のあの人の足りないところを足りないことだと気付いてて、今なんとかしたいと思ってるのは私しかいないのだと。それはなんかもうすごく、ここまでの関わりであいつの周りに人があまりにもいないってことで思い知らされたし、私が諦められないのも、ここまであの人のことを知ってしまったのも、私にとってあいつが運命の人だったってそんな馬鹿なことじゃなくて、私が強く強く想っていたからだ、ということだけだった。

私にあいつに見合う資格はないと思い続けてきたけど、資格なんていらなくて、私がこうやってあいつのことを知っていて気に掛けていて想い続けているこのことが、すでに理由になるのだと。私があいつに関わる今までが、こうやって手を引く理由になるのだと。権利とか資格なんていらない。だって知ってるから。もっと知りたいと思ってるから。それだけで関わることは十分なのだと。

友達が言っていた。「責任感や義務感で動いてるならそれは違うと思うけど、そうじゃなくて好きだからで動くのなら、もう仕方がないんじゃないの」

義務感なんてない。好きだからやってるだけだ。

 

枠とか結果とかあいつの将来の全部とか、なんもわかんなくてそんなの私にもあいつにも神様にも誰にも分からなくて、ただ好きで関わりたいから。それでなんとなく良くない方向に突き進んでるのが見えてるから、私は、やっぱりこっちにきてよって手を引きたいと思った。

友達と歯医者で例えをしてたんだけど、それこそ虫歯になって歯医者に行かなくちゃならない人がいるとする。私は、虫歯だとしても本人が歯医者に行きたくないならそれはもう仕方がないんじゃない?って考え方で、でもそれはダメだって11月ごろに気付いて、そこから「虫歯だから歯医者に行かなきゃダメだよ!!」って色々言ってたんだけど伝わらなかった。そもそも、本人が虫歯ってことに気づいてないとか、そもそも歯医者の場所を知らないってこにようやく気づいた。だから、私がいますべきことは、歯医者に行くように手を引くことなのかな。

何かをダメだっていっても、そもそもの前提がないから伝わらなくて、私も説教がしたいわけじゃないから、そこで喧嘩になって伝わらなくてしんどかった。色々用意して考えて伝えたいって思ってたこと全部ダメダメになって泣いた。違う。そうじゃない。伝えたいけど怒りたいわけじゃない。是正したいわけじゃない。私もあなたも正しくなんてない。正しさなんてどうだっていい。私はね、手を引きたい。あなたの将来とかどうでもいいから、今の私はあなたとわかりあいたい。その結果に枠がついてこなくても。友達や恋人の枠なんていらない。

「ねえ、こうした方が楽なんじゃないの。どうかな」私はなんとなくその道しるべを知っている。皮肉だけどその幸せになれる生き方に気づけたのは、あなたを好きになったからだ。

 

結局、私も怖がって今のあなたに向き合えてなかったのだ。名前なんていらない。区分なんてしなくてもいい。未来なんてなくてもいい。

その辺のめんどくさいこと全部取っ払っても、私は人が好きだから、結局あなたに関わることをやめられないと思うよ。というかやめない。

私じゃないとダメだなんて思えない。でも、私が今あなたに関わり続けたいのは、あなたのことをずっと見て考えてここまで関わってきたからだ。ここまで関わってきたから、私はなんとかしたいと思ってしまった。

「何ができるか」を思い悩むより、『できることをどうやって出し切れるか、活かすか』を考えてみた方が得策な気がします。
できることしかできないし、できないことはできないし。

恩師からもこう言われた。それでいいのだと思った。あなたにとって私は何ができるか、じゃなくて、今できる私をどうやって生かすか、ってことを考えていきたい。

なんでこうならないの、じゃなくて、どうやったら手を引けるのか、優しい手の引き方を考えたい。

あんな絶望的なほど閉鎖的な人に関わって変わってほしいと願う私の勇気は、私が諦めずにあいつに関わってきた今までが全部証明してるよ。自信なんかいらない。あいつのことたくさん知っちゃった私だからそうしたいと思ってるんでしょ。

それだけで、十分だよ。