人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

自己受容できてない奴に人を愛する資格なんてない

夢を3日連続くらいで見るんですけど、見るたび夢の中で会う人の懐古が増してる。見るたび昔の人に会う。しかも今、大人になった姿で。いまなにしてるのかなあって深層心理では自分が会いたいと思ってるのか。連絡も取れないくらい、遠い人なのがもどかしい。

 

最近、カップルとか夫婦のことについて考えてました。

自分の両親の夫婦仲は良いんですけど、自分の知ってる、他の夫婦たちは、仲の良い夫婦とダメな夫婦だと、ダメな夫婦の方が少し多い気がします。

深い事情は知らなくても客観的に感覚として「どうしてうまくいっていないのか」ってことはなんとなくわかるくらいには、不仲の夫婦をたくさん見てる気がする。お嫁さんがヒステリックとか、旦那さんが亭主関白すぎるとか、二人とも多忙すぎるとか、目に見える明らかな個々の原因とは別に、何か大きな共通点があるんじゃないかなあって、感覚としてはわかってたけど、上手く言語化できてなかった。

 

「所詮は相性や価値観だよ」

そういう言葉を言われて、あまりにもざっくりすぎて、自分はあんまり納得してなかった。正論すぎるけど、じゃあその相性とか価値観ってどうやって測ったらいいの? 第六感?なんとなく? 相性が合ってると初めは相互的に思えたはずの夫婦がダメになってるのはどうして?自分の経験則がないから、わかんなかったけどその分客観的に見えるものは多かった気がする。それこそ年齢関わらず。20〜80歳のカップルや夫婦をたくさん見てきてる。そのどれもに共通する原因ってなんだ。

 

自分の今辿り着いた結論も、結局は、相性次第だと思うんだけど、相性が合うってことは「相手を受容できるかどうか」なんじゃないかなって思う。

「相手がありのままであるということを受け入れられる」ってこと、つまりは「他者受容」、それが二人の間で大小はあれど相互的に成り立ってるときに、関係は持続するんじゃないかって。

そしてその「他者受容」は絶対に「自己受容」ができていない限りできるはずがないのだ。自分のこともそのまま受け入れられてない人が、目の前の人を受け入れることなんてもっと無理だ。

自己受容ができてないと、人を愛することもできるはずがない。自己受容できずに愛したそれは、きっと愛じゃない。

 

自分の知り合いに、昔、だいすきだったお姉さんが自殺した経験のある女の人がいて、本人は傷を多分20年近く抱えて生きているんですけど。その人は結婚すれば愛されて救われると思ったけど、結局苦しいままで、子どもを産めば人を愛せると思ったけど、結局苦しいままだということを聞いた。

それってつまりは、最愛の姉を亡くして生きてしまう自分のことを未だに受け入れられずに、姉との過去に縋り、他者に承認欲求を求め続けてるから、苦しいんだろうって思います。どんなに旦那さんや子どもたちが自分のことを愛してくれても、自分が自分のことを受け入れられなくて地に足がついてないから、それが届かなくて、苦しくて、その彼女が抱いた恋のような何かは、自分が救われたいとか、この世の全てを誤魔化したいとかそういう逃げの想いなんだろうなって。その上に築かれた家族はそりゃ暗いよ。ゼロかマイナスかってだけで、幸せになろうってプラスになる気がないなと。

自分を認められないのに人を認められるはずがないのだ。

 

人間そんな完璧じゃないので、じゃあ目の前の人を全部受容できるか?って聞いたら無理だと思うし、その受容できる範囲が、つまりは相性なんだと思います。人間は多面的なので、誰かの長所は、他の人には短所に映る。その人の、それこそ本人が自覚する性格や考え方を、長所だねってたくさん言えて受け入れられるのが、相性がいいってことで。

その本人が自分の性格や考え方を何一つ受け入れられてなくて「自分は本当はこんなはずじゃなかった」「自分はもっとできるはずだ」って言ってたら、どんなに周りが認めて受け入れても届かない。だから自己受容できてない奴に、人が愛せるはずがないんです。できない自分を愛して。だなんて。できない自分もできる自分もこの世のどこにもいなくて、どう足掻いたって、自分は自分でしかないのに。

 

私の知るうまくいってない夫婦は、この受容の観点から見てみると二つに分類できました。

まず一つは、そもそも片方が自己受容できてない人たちばかりだったんですよね。自分の今を見つめられていない。人からただ一方的に愛されれば救われると信じてる。

でも正直、人から愛されるだけで救われてる人なんて見たことない。人から愛されることで、自分自身を愛して、愛し返すことができてる。そういう二人はすごく幸せそうだなあって思います。

でも、私はとても不幸だ!!!って相手の愚痴ばかり嘆いてる人は、やっぱり何一つ、自分の今を認められてないなと。

卑屈で不幸ぶる人って、自己中心的だって最近ほんとに思います。人からどう思われてるかってことばかり気にするのって、結局は、人の目を気にして自分のことしか見てないんですよ。目の前の人なんて見てやしない。人から愛されることに頼る人は、結局、そんなの誰でもいいんです。愛してくれる誰かしらさえいれば、それこそカカシだって。そんな人が人を愛せないのは当たり前だから、だから結婚して破綻する。

相手が悪いんじゃない、自分を認められてない自分がまず足りてない。だからまずは、それに気付かないと。でも、気付いてないまま生きている人は、それこそ50歳を超えてもたくさんいるし、生きられはするんですよ。ほんとに辛いだろうけど。

 

もう一つは、相手を受容できてない夫婦。相手のこういうとこがダメだとか、許せないとか、こうすべきだと思ってしまうこと。全部受容するなんて無理だけど、その理想の押し付けの頻度が上がれば上がるほどずれて破綻してく。こればっかりは、ほんとに人それぞれの受容の許容範囲なんだと思います。向こうが変わってくれなくても自分が諦めて我慢すればいいや……って思ってしまう時点で受容範囲はずれてしまうし、それは受容ではない。どうやったて苦しい。

一緒にいて相手の長所が長所として発揮できるとか、それこそ短所すら長所として発揮されるとかそういうことが受容が合ってるってことなのかもしれない。短所があるとして、それは君の短所だから直したほうがいいよ、じゃなくて、短所は短所だからそのままでいいしじゃあそれはこっちが補うから、っていうのが他者受容した上での補佐であり、そういう夫婦は上手くいくと思います。自分の両親まんまだな〜って今書いてて思いました。うちの両親はお互いが、特に父が母のことを全面的に受容していて、母は正直そんな自己受容完璧!ってわけではないんですけど、父が受容してくれてるからその分すごく息がしやすいんじゃないかな。すごいな。

相手への不満があるなら、この人はこういう人だってことをわかった上で自分のしたいことをするという、対等さで接したらいいんじゃないかなと思います。この人はこういう人だって理解することは受容なのだと思う。この人はこういう人だからなんとかしなきゃ、っていうのは諦めとか逃げとかで苦しそうだなって。

 

マイナスとゼロを繰り返す夫婦は、あとカップルはしんどそうで、うまくいってる夫婦やカップルは、ちゃんと幸せになろうと前を向いて歩いてるプラスの考え方をしてる気がします。まだましとか普通に戻さなきゃとかじゃなくて、ただ幸せになりたいしそれを持続したいなっていう、未来へとしっかり歩んでいけるような強さ。すごく素敵だと思います。素敵な二人は、周りから見てるだけでこっちまで幸せになる。

 

人の世では自己肯定感が大切だ、なんてよく言われるけど、自分は自己肯定感は結構危険なものだと思ってるし、さっきから再度いってる自己受容と自己肯定は全く違うものです。

自己肯定は「自分はできるやつだ」と自信を持つことで、自己受容は「自分は自分だ」と認めることです。

例えば、テストで60点取った時に、本来の自分は100点取れると思い込む自己暗示が自己肯定。テストで60点取った時に、ああ自分は60点だったんだなと認めるのが自己受容で、この先でじゃあ次に100点取るためにはどうしたら良いだろう?って考えていくことに繋げるのが大切だと思っています。

 

さっきの例だけど、お姉さんを亡くしたからこそ、本来の自分は姉がいないとダメなのだって思い込むことは自己否定であり、人を死に追い込む危ない考え方だと思います。自己否定と自己肯定になんの違いがあるのだ。自分に掛けた自己暗示の、その自己肯定が間違っていた時、すぐに自己否定に走れてしまう。自己肯定は呪いだなあと思う。正しければいいけど、自分に正しく自己肯定の呪いをかけられる人なんてものすごく限られてるんじゃないかなあ。

だから、自己受容は、お姉さんを亡くして自分は苦しいとまずはちゃんと認める。亡くした姉は返ってこないということを認める。諦める。お姉さんは決して返ってこないけどこのままずっと苦しいままで生きるの?って自分に問う。それは嫌だって、思うよ。思えるよ、きっと。ちゃんと自分が辛いことを認められれば、人間ずっとずっと辛いままではいられないよ。

じゃあ今、幸せになるために自分に何ができるかなって考えたとき、たぶん、ほんとにすぐそばに愛してくれる人がいるなら、その人たちのこと今度は真っ直ぐ見られるはずだよ。というか、絶対いる。愛されてることに気付けば、自分は愛し返したいと思うし、そのために自分で自分のことを愛せるようになれる。

自分のことを愛することはほんとに難しい。ほんとに。いやになる。でもそれでも周りが自分のことを愛してくれるから、自分は周りを愛せるし、いつか自分のことも愛せるようになるよ。

人を愛するのが怖いって、そんなことないはずで、裏切られるのが怖いって人の目を気にして自分が傷つくのを怖がる時点で、自分のことしか見てないんだよね。人を愛することは本質的に幸せなことのはずなんだよ。人を愛するのが怖いのは、あなたが自分の今を嫌いで認められてないからだ。

 

人から傷付けられるより、なんだかんだ人間、自分が自分のことを一番傷付けてるんじゃないかなって思う。自己受容できてない時点で、自分のことを自分で虐めて苦しんでるんだと思う。私もそうだった。自分を傷つける人が、人を愛せるはずがないし、それは愛ではないし、みんな苦しいだけだ。

息苦しい二人が、少しでも減ればいい。どうしようもないこともたくさんあるけど、生きるのに苦しい人間は見ていて辛いよ。みんな呆れて離れて行っちゃう。

結局、辛い生き方を選んでるのは自分自身ってことに気付いて欲しい。

人間、どんな瞬間からでも今から幸せに生きたいと思えば、生きられるはずなのだから。