人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

散文

ブログほどまで成形できずに、一部は昇華できてたのかもしれないけど、途方も無いほどのたくさんの覚え書きとテキストが、iPhoneのメモ帳から出てきた。このまま置いといても見返さないし、消すにはちょっと惜しい言葉達だったので、ならばもうぐちゃぐちゃのままここにまとめてしまおうと思った。

脈絡はないけどいつも書いてるみたいなことばかりな気がします。推敲はもう個人名と句読点以外はそんなにしませんでした。もがいた跡でしかないし、わかってんのに実践できてないことの多さだよ。

 

1.
昨日友達に言われて、すっごいことに気づいたんだけど、学校外で遊ばないと人って仲良くならないんだねっていうか、学校外っていうか授業外で遊ばないと友達になれないんだねって思った。
友達だから授業外で遊ぶのかと思ってたけど、授業外で遊ぶから友達なんだわって思った。
今までの人生において、クラス内でしか顔を合わせない、話すけどまあ授業でしか関わらないっていう人は私の中だと友達じゃないし、逆に自分が友達だと思う人は絶対どこかで腹割って話してたりする。
学校や授業という拘束された時間の中以外で遊ぶことによって信頼感が生まれるから、あくまでも「仲のいいクラスを作りましょう」ってどんなに学級目標に掲げてもそんなの全然友達ではないんだな。
「だからこそ、みんなリアルの友達と授業外で会話するためにTwitterとかのツールを使うわけだし、貴方はそれがいらないからやらないんでしょ」って言われて目から鱗すぎた。
みんなそんな、猪突猛進して腹割って話さないから人間関係としてギブアンドテイクや利害関係で薄いわけだし、だからこそ大学ではサークルに入るわけだしTwitterInstagramをするんでしょって言われてああああってなった。
それに比べて、強制力のない仲の良さ、自主的なコミュニティとか、そういうものは本当に楽しいって私が実感してて思う。
それこそ中学生女子のまとまってトイレに行こうぜとかはあんなの学級内での立ち位置という強制力が働いたものだから友達ではないんだよ。
だからウェイの遊びに行く!!っていう集団は クラス単位でとかサークル単位で遊ぼうぜって言い続けて遊んでいる限りその強制的コミュニティから全く抜け出せてないから全然人間的距離としては友達でもなんでもない。
私が高校のとき生徒会に入っても生徒会で全然仲良くなれなかった理由もそこにあるんだと思う。強制力が働いた集団のまま仲良くなろうとしてたから、あと仕事という強制力からどうしても抜け出せなかった。
集団単位、それこそ学校、職場、習い事、部活動、サークル、バイト先、ママ友というある一種の目的が存在している集団において、その集まるという強制力から抜け出さない限り友達にはならない。逆に言えばそこから抜け出せてしまえば友達になるんだと思う。集団はきっかけになるけど直接友達になるわけじゃない。
学校で浮かない程度にそこそこの付き合いを続けられればいいな、わざわざ外行って遊ぶ意味も感じないなって思っている相手は友達ではないんですよ。
どんなに休み時間に同じ場を共有してご飯とか食べてても、やっぱりそこがなんとなくふわふわとしていたら、それはやはりその目の前の人間に対して必然性は生まれてない。

じゃあ家族に強制力はあるか?という問いは、私はあると思う。
家族というコミュニティに対して、どこかしら強制力を感じた時点でもうそこから離脱するかそれかもう一人の人間として向き合うしかないよね。私は抜け出した上でほぼ友人という形で両親と向き合えたのかな。

というかやっぱりこれは体験談としてそう思うけど、本気で相手に向き合って友達になりたい この人と仲良くなりたいって思ったら向こうも熱量としては同じだけのものを返してくれるし 向こうが腹割ってくれないと思うときはまずこっちが割ってないからなんだよね。
割ってくれるのを待ってるとかどっちが先とかじゃなくて、両方が割らないとダメだ。
こっちが本気で腹割ったら絶対向こうが心開くかどうかはわからないけど、もし拒絶されても全力で噛み付いてくるし熱量としては同じなんだよ。たまに噛みつかれるけど別に噛み付かれてから始まることもある。

一人は傷付かないしそりゃ楽なんだけど、じゃあもうそう言うなら、すべての人間関係を望むのはやめてくれとは思う。

一人で生きていくって言いながら、それでも多少はコミュニケーション取ろうとしてる人のことみんな矛盾してやがるぜって思ってる。強制力の働く下でのなあなあの付き合いもそこそこ楽しいし、それが楽だなあって思ってるのは事実だけど、ただ単にその強制力の先の友達を知らないだけなんじゃないかな。

その先に一歩踏み出したことないくせに面倒くさいとかリスクが高すぎるとか嫌だとか無理とか言うなよ。やったこともないくせに!!
読んでいない本ややったことのないゲームを批判されるのが私は一番気にくわないし、そういうことを対人関係においてやってるんだと思ってしまうんだよ。

 

2.

多様性を認めることと、自分の信念を持つことは共存できる。
他者攻撃はだめだ。

完璧になろうとしなくていいのに。

正しい人間であろうとするな。

自分の意思を持つこと、正しいと思わないこと。

最近私がひたすら考えてるテーマは「変わりたいと思う自己選択」と「正しさに囚われることは人を傷付ける」についてです。
妹執着について変えようとかじゃなくて囚われることを選択していた。
助け合うんじゃなくて支え合いたい。
影響し合う、共有し合う。

不当な扱いをされてることが許せなかった。だから好きになった。

 

3.

選択とは、一生その覚悟をするわけじゃなくて、その時その選択をしたことを忘れず後悔しないことである。
壁じゃなくて、芯と柱。

結婚に絶望感があるのか、そもそも特定の人を好きになることができないのか、性的なものに嫌悪感があるのか、一人で生きていくことに確固たる信念があるとか、どれなのかいまいちわかってない。全部かなあ。
でも今までの言い分からすると、二人で生きていくよりは一人の方が自由わずらしくないしそれだけの強さがあるって柱を立ててるイメージかな。

柱を持ってる君が何よりも好きだし、でもそれと同じくらい心配なだけだった。
あなたはあなたを傷つけることでそれで安定してるのかもしれない。
私が心配するくらいであなたの脅威全てから守れるわけじゃない。でもそれでも、細かい傷にすら傷つかなくて済む選択肢をどうか。

変えたいわけでも、
変えるように仕向けたいわけでも、
働きかけたいわけでもなくて、
関わり続けたい。

人と人が対面してる時点でお互いが影響しあうということって当たり前だから、教師と子どもがいたときに、子どもだけ変えるって考え方が私はそんなに好きじゃない。
人をどこまでも愛せる権利がほしい。

そばにいたいけど手を煩わせたくない。
親の人生は親の人生であってわたしの人生ではないから。

失敗経験から学んで「じゃあ今度はどうやったら失敗しなくて済むんだろう?」って考えて試行錯誤するのが反省で 「一度失敗したからじゃあもう二度とやらない」って決めつけてしまうものほどの怖さもない。失敗してその時負った損より未来の可能性を潰し続けるのが怖い。

手を引ける存在になりたい。
経験は確かに大きな財産だけど、たった一度や二度の失敗で何がわかったのか。その経験でじゃあ残りの全ては危ないと決めつけてるだけなのではないだろうか。

失敗が怖いのは当たり前で、じゃあもう一人じゃ無理なら周りに助けてと言えば良い。周りにそんな人がいるかはわからないけど、少なくとも私は助けてって言われたら、他の全てを投げ捨てて駆けつけられる味方でありたい。私が好きで関わっている全ての人において。

 

4.

その人の人生と自分の人生がこの先重なって欲しいと思うことが恋愛。
その人の人生を見ていたいと思うことが友愛。

明確な名前が与えられているのが家族、明確な名前を与えたいと思うのが恋人。

愛のために努力してもそれに見合うものが返ってくるとは思わないから、じゃあいらないと思ってるんだと思うということらしいです。
そのために何かしら努力として得るべきならば そんな面倒くさいことしたくないし、必ずしもそれで愛が確約できないならやだって。

世界の最上位の幸せが結婚でないとしても、人と人との出会いは運命を変える可能性があるから諦めて欲しくない。
わたしはほんとに君たちに救われている。閉ざすようなことをしないでほしい。
やっぱり親が離婚経験あると結婚願望って消え失せるものなの? 愛が破れるなら最初からもう一人で生きて行こうと思うものなのかなあ。
なんというかほんといろんな価値観や立場や家庭環境の人に触れて生きてきたけど、結婚願望ない奴に対してそれをしろっていうのはマジで傲慢で余計なお世話であるわけじゃん?
結婚が人生においての最高的ゴールとは考えたくないわけなんですよ。それこそ一人で生きていくこと、それかシェアハウスという形とかも、もっと認められるべきだとも思うんだよね。
「本当にいらない 愛は必要ない」と本気で思ってるのか。それとも「努力のためのリスクが大きすぎるからそれを得て必ずしも報われないのなら最初から労力を割く気がない」のかどっち。
でも離婚した家庭を見てるからこそまたそれを繰り返す気なのか。それこそ逃げと諦めなんじゃないか。

「きっと愛されて育ってきたんだろうなあ」っていうし、多分そう他者に依存しあわないような環境下で生きてきたからこそ、自分を守る術をそういう形で確立させてるからこそ多分本当に生きていけるのだとは思う。
わたしとしては後悔しない生き方を選んでほしいし、だからこそ絶対に結婚はする!とも絶対に結婚はしない!と思い込みによって決めつけて欲しくないんだよねって早計だよとも思う。
永遠の愛を語るくせに探そうとする気を全くしてないし、もはや拒んでる。
それを溶かしてやろう!ってくらいの光属性にはなりきれない。
なんというか人と人との運命的な出会いってまじでかける時間でも努力とかでもなくて運命とちょっとの働きかけだと思うんだよ。ほんとに だからこそそこを遮断して最早絶対ありえないって思い込む自体でこう何かを取り逃がすというか……。

私が他者との関係を大切にして生きたがるのは ほんと2年前とかに本気で一人で妹の想い出だけ抱えて生きていこう、このまま指一本動かないまま先の展望もないまま、ああもう生きたくない呼吸だけしたい植物になりたいという地獄をみたから、たぶんその反動で人と関われることに嬉しくて仕方がない。

「人との関係に対して努力しようとは思わない。自分の楽しみだけは裏切らない」ってさ。
私は分かり合えた経験があるから、それを信じたがるし、彼らは分かり合えなかったものを見たからこそ壊れるそれを気にせずにはいられないってどっちもほんと経験に根付いてるから間違ってもないけど両方主観的すぎる。これを価値観というのかもしれない。
人との関わりによって確かにしんどいこともあるし私だって切り捨ててしまった人間関係たくさんあるけど、どうしようもなく人に執着してしんどくて、でもそれを救ったのもまた人だからなあ。

すべての人を切り捨ててしまったら いつかほんとにしんどい時に助けてもらえなくなる。大切にしてたら巡り巡って絶対帰ってくる。人は本当に一人じゃ生きていけないって、体験談の主観だけどさ。

めんどくさいのもあるけど、なんというかほんと人との絆って 努力とか時間量とかじゃなくてタイミングと運!だからこそ、なんかそこの出会いの戸口を閉めてはならない。維持の能力とかじゃなくてほんとに出会いの質なんだよ どっちかというと取捨選択?

なんか人との関わりにおけるめんどくささって めんどくさい人じゃなければほんと出会いの質の問題なんだよ。人の問題。むりな人はずっとむり。合う人はそんな維持に辛さを感じない。

愛ってそんな燃えるようなものじゃなくてなんか日常の中に少しずつあるようなものだよなあと思う。

脳みそが一つしかないから一人しか愛せない。

考えることが防衛本能なところもある。
理不尽な出来事に対してなんらかの理由付けをしないといられなかったというか。
やだーやだやだやだ!!ふざけんな!!!って言えなかったというか。

そこまで諦めることを強いられて思い込んでるというか。
運命なんて大層なこと言うけど、一緒にいて楽しいなあ、もっと一緒にいたいなあ……って思う出会いがあったって、ただそれだけの話なんですよ。
一緒にいるのが疲れるから一人の方がましって決めつけるのもわかるけど、全人類においてじゃあ人といると、必ず辛い思いをするって決めつけるのは早計すぎやしませんかって思うんです。
ずっと助けてって言いたかったけど、その前に一人で生きなきゃならなかったから甘え方もわからなかったし、この寂しいのが普通だと思ってたから一人でも実際生きていけるんだけど思ってた。

やっぱり人にトラウマは存在すると思う。
人にトラウマが存在するというよりは、そんなにも簡単に人は暗い過去を捨てて、未来の可能性を信じられない。

自分が他人に干渉されたくなかったと思ってた
思い込もうとしてた時期があったから仕方がないし、助けを求めるくらいなら一人で解決して生きてきたからこそ、世界が私に厳しかった。

って思うけど世界を厳しいと決めつけて助けを求められなかった私が悪いんだろうな。

私が君たちにあった時もそういう人間だったから、こう何回も色んな話をしていくうちに、すごく勝手に共感するとともに、ああそこまでは私はなりきれなかったなあと思って。
私は妹が死んでるから思い出だけではいきていけないってのもあるかもだけど そこまで一人で生きてく!!みたいなことをカッケーって思ったんだよ。今でも思う。もしも生きていたら、わたしも妹と暮らす人生を選んでいたかもしれない。

ただ二人の気持ち聞いたあとわたし、ずっとずっと悲しくて、同情とかじゃなくて、対面してる人間としてめちゃくちゃ悔しかったんだよ。

プライドかっこいいなあって思うけど それと同時にほんと死ぬほど悲しかったんだよ。
私ほんとに救われて、あの二人そんなつもりなかったけど私は私でほんとに楽しくて、妹と生きてたあれが人生の最上級だと思ってたんだけどそうでもなくて、ほんとこれは私の体験と実感だからなんだこいつって思うかもだけど、ほんと周り含めていろんな人にまた怒られたりしたんだけど。
でも、本当に人は世界で大事なもの作ってても他にも作れることわかったんだ。

光属性が正しくとも正論でも私はそうはなりきれない。どんなに無駄でも悪でも意地でも人の拘りをいらないって捨てられない。
だからこそ私は、それに拘ってることをかっこいいと思うけど同時に悲しくて寂しいと思う。

私は救われたし自分を構成する要素すべてにおいて感謝したいから。

 

5.

友達が家に来てゲームしてただただはしゃいでるって私にとって他には代え難いくらいの幸せなんだよな。それは友達が好きってわけじゃなくて、友達のポジションがかつて妹が担ってた部分で自分がどうしても補いたくて仕方がなかった部分だから。
でもこの友達対して永続性は感じないし、この生活もあともはや2年と少しで終わりが来るし、そういう意味での永続性と無邪気さを私はまた別の人に求めたがってるんだろうしな。
妹の代替を探し続けているのはずっと感じて悩んでたことだ。亡くなった人の代わりにはならないけどやっぱり今はもう無い同じような幸せを求めてしまうのは自然なことなんだと思う。

 

6.

夏と一緒にこの恋心も死ねばいいのにな。

私こんなめんどくさいし、どんくさいし、それこそこうやって一緒にいても心配ばっかしちゃうし。何か求めることも怖くてできないし、なにもあげられないし、
口回らないし、その分ほんとに考えることしかできないから。
こうやって無条件に承認することしかできない。

 

7.

ほんとに心配してるのもあるし、私の利己的な気持ちでもほんとに教師に向いてると思うし、尊敬してるから、そういう意味でどんな形でもどんな些細なことでも手伝いたい。
プライドが傷付かない程度に手伝いたいと思ってるし、もはやそれで単位落とされた方が心痛くなるから、頼ってっていうのも負担なのかもしれないけど、ほんと出来る限り尽力したいしさせて欲しい。

何かしてもらいたいわけじゃない。あなたのこと一番側で支えられる権利がほしい。
27歳以上生きる理由がなかった。
エンディングみたいで出来すぎた物語みたいで
そういうとこに共感してたよ。
43歳で死にたいなんて。
同情から始まった。
恋愛にかまけてるだけで世界は平和になる。
死者に執着なんてしなくて済むんだと。

わたしはわたしの人生を歩んでいいのか?

なるほど、このぽっかりした時間にずっと妹がいたのか。
何年経ってもやっぱり一番に伝えに行きたい人がいなくてそこがずっとぽっかり空いたままだって。

私ずっと人に頼ることが苦手で、抱えてるアレな事情も事情だったのもあって 中学時代話したことに対して、ほんとにごめんって罪悪感抱え続けてたんだよね。話してくれてありがとうって言われた気持ちが全く理解できなかった。
人に頼らないことは美徳じゃなくて弱点ってなるほどなあ。

 

8.
好きだった

ただ一緒にいたいし幸せになりたかった
片想いだからほんとにどんなことでも喜べたし
わたしのことをいらないことも好きだった

ほんとにほんとに好きだ

わたしの1番の願いが人の蘇生で それを願いつつ叶わないことへの理性と感情の葛藤のあまりに精神を壊したので そこから1番の願いを諦め続けて生きてきたのでなんか人に願っちゃいけないみたいな方程式があって 叶うかどうかは別として言う事に意味があるのだと思ったから

ずっとずっと死にたかったし将来的に絶対にあの時ほどの幸せなんて訪れないと思ってたけど
現実を見据えてリアリストな君をみたからどうしようもなくわたしは未来を信じたいと思った
君のこと考えて好きになったからわたしは過去に固執しなくなったしいろんな可能性を信じられたと思った

環境の主体に君がいなくとも 私は君を必要として 君がいるからこそただその存在にほんとにほんとに救われてだから大好きだということをどうしても伝えたかった
ほんとにありがとう
もしよかったらまたずっと仲良くしてください

多分これからもわたしは君について悩み続けるしいつかそうやって別れがあるのかもしれない
それでもこうやってとりあえず悩み続けた一年が無駄にはなってないから何にもならないわけじゃないと思う

だから 自分の可能性を未来の可能性を信じて欲しい
私じゃなくても私がもしダメでも選択肢を少しでもいいから広げられたらいいと思う

 

9.
 I wanted to grow up together with you by your side.

  私はあなたのそばで一緒に成長したかった。 
I want to grow together with him.

私は彼と一緒に成長して行きたい。 

 

10.

何であの環境が気に入らなかったの?

私のこと傷付けると思って話さなかったんだね。私はそう思わなかったからびっくりした。
話さないとわからないことがたくさんあるのだと思った。

羨ましいと思った。
そこまでかけられて大切にできる家族がいて、そのための行動力も信頼感もある君のことが、当たり前の家族を当たり前の様に大切にできることが。
私もやりたかったしやってたことだ。当時中学生だったしどうしてもやれる範囲は限られていたけど病院には入れるのって15歳からだからきょうだいでも病院にも入れないし、だから土日がぜんぶお見舞いで潰れてもまともに母親も父親も家に帰らなくてもそれがあるべき姿だと思ってたし、骨髄移植のドナーのリスクも考えずにあげて助かるのなら何も怖くなかった。死んでほしくなかったから。
妹は私と一緒に幸せに生きて欲しかったし私は何よりもそれを優先したかったからそれが私の幸せだった。
それと同時に誰かに助けてほしいとずっと思ってた。
私も家族が大好きでたまらなかったけど それでもどうしても無力感とやりきれなさがあって散々逃げたことがあってそれこそあの部屋も荒らしてぜんぶめちゃくちゃにした。

私も家族が大切だから考えてることや家族にかける思いを否定できなかったし言えなかった 。
だからそれがお前はお前のことをわかっていないって言われたのもそうだし、何がが言いたいのかわからないって言われたことなんだったと思う。
どんな人生送ってきたかはそりゃ全部は知らないけど断片的に聞く限り結構しんどそうだけど その中で自分を見失わずにそのまま、人間が好きなままなんだね。

家族のことある程度少しくらい逃げてもいいからもっと他の大切な場所を作ったほうがいいと思った。
そのための場所になれたらいいとずっと君に対して働きかけてた。

どうでもいいと思わないでほしい。
家族も大切にしていいから、誰か、じゃない 他の誰でもない私のことも大切にしてほしい。
私を大切にすることで自分のこともっと大切にしてほしい。
これからもっと何かがあればいいと思った。

 

11.

何かを選び一つのこと選択し続けることは一途とか初志貫徹とか聞こえはいいけど他の可能性を潰し続けることでもあるんだなあ。

明確にどんな教師になりたいかを考えてないから楽な方に逃げていくんじゃないの。

教師なんかやめちゃえば。

柱や芯や軸があるって、結局トラウマになってるだけなんじゃないの。
私だけの価値ってなんだろう。

遠い未来の誰かが。

助けてくれって言われないと何もしない教師ってどうなの?
だから私はあなたに関わり続けて何とかしたいと思えるようになった。ここまで来た。

そんなに教師になりたいなら どうして真面目にやらないの?
嘘は自己暗示だよ。

 

12.

勝ち負けや正誤じゃない。

選択肢の提示が大切。

愛するとは何の保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。

 

13.

『夜と霧』

真っ当に苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかをなしとげることだ、ということを証していた。最期の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最後の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。
強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。
およそ生きることに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。
おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、私の心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だったとしたら収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。

絶対的な未来喪失を骨身に染みて味わったのだ。それは、あたかも死者が人生を過去のものと見るように、その人の人生のすべてが過去のものになったとの見方を強いるのだ。

現実をまるごと無価値なものに貶めることは、被収容者の暫定的なありようにはしっくりくるとはいえついには節操を失い、墜落することにつながった。なにしろ「目的なんてない」からだ。このような人間は、過酷きわまる外的条件が人間の内的成長をうながすことがある、ということを忘れている。収容所生活の外面的困難を内面にとっての試練とする代わりに、目下の自分のありようを真摯に受け止めず、これは非本来的ななにかなのだと高をくくり、こういうことの前では過去の生活にしがみついて心を閉ざしていたほうが得策だと考えるのだ。このような人間に成長は望めない。「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、私の真価を発揮できるときがくる、と信じていた」けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、あるいは、ごく少数の人びとのように内面的な勝利をかちえたか、ということに。

わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。

わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏付けされた、総体的な生きることのの意味だった。この意味を求めて、私たちはもがいていた。

自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

わたし個人としては、希望を捨て、投げやりになる気はない、とも言った。なぜなら、未来のことはだれにもわからないし、次の瞬間自分になにが起こるかさえわからないからだ。

人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をふくむのだ、とわたしは語った。

 

14.

わたしは日々少しずつ伝えることしかできない。

伝えるときにびしっと何かを伝えられないから。

文字コミュニケーションが苦手なんじゃなくて、人に対して真摯でないだけだ。話し言葉が好きだからって文字がいらない理由にはならない。
救われたいと幸せになりたいと思ってたけど、幸せになってたんだよね。だから幸せにしたかったんだけど。ここまでが今までの私で、だからこれからは幸せにしてくださいって思う。

変わってて変わってまた変わって戻ってきたような気がする。
あなたよりあなたのこと考えてた気はするけど、向き合ってなんてなかったから。

人と向き合うってどういうことなんだろう。人は死んだらどこに行くのだろう。
向き合うって、私の中にいること。

聞いて、拾ってくれると委ねて信じて話そうか。