人間蘇生だモラトリアム

考察が三度の飯より好きなゲーマーです 一応誰に見せても恥ずかしくないブログという名目です

愛の受け皿

私は、私のことをめちゃくちゃ幸せだなって今、心から思っている。

第二の故郷だなあっていうところに帰って、みんな揃ってみんなに揉みくちゃにされてぎゅっと愛されて笑って帰って来た。

こんなにもたくさんの、ほんとにたくさんの愛をもらって、それを愛だと認識できて受け取れるだけの受け皿が自分に存在していることは、胸を張って自分で自分のことをめちゃくちゃ褒めてあげたいと思う。

与えることも愛だと思うし、愛を受け取れることも愛なのだと思う。愛することと愛されることに怯えることをやめられてよかった。

自分にそういう受け皿がないと、どんなにたくさんの愛をもらっても気付かずに取り零してし、愛は割れた皿の隙間から全て流れてしまうのかもしれない。自分に必死で、自分を保つのに必死で、心に余裕がないときは、家族も友達も邪魔な存在になってしまう。かつて、私は自分を心配する全ての存在が憎くなってしまうことがあった。

 

元々、私は私のことをすごく恵まれた人間だと思っていたし、それは自他共に事実としてあって、愛されて幸せに過ごしていた。愛を受け止める受け皿はちゃんとつくられていて、たくさんの人に囲まれていたと思う。その中でも本当に一番受け皿から並々と愛を注いで、愛を注がれていた存在があって、それが実の妹だった。

妹が死んで、世界で一番望むことは妹が隣にいることだけなのにどうしても誰も代わりにもならなくて、私は妹から注がれる愛がなくなったからこの受け皿に意味なんてないのだと、叩き割ったのだ。粉々に割れた受け皿を使って、破片で人を傷付けまくった。何よりも私のことを傷付けていたのは私自身だった。外から注がれる愛がひたすらに何もかも鬱陶しかった。

 

そうやって人生に意味なんて一つも見出してなかったのに、やっぱりまた歩き出したのも妹が遺した問いで、未だに答えは出ないでいる。

「教師と学校は妹を救ったのだろうか」

だから、本当は先生になりたかったわけじゃなくて、ただ向き合って教職が学びたかった。そして私はずっと教職に懐疑的だった。

大学で学んでみて、人が好きだし、人が好きな人が好きだと感じた。ただの遊びも全部学問に結び付いた。生き方と教職は切り離せない。教職を志す人は素敵な人ばかりだった。やけくそで飛び込んだ先で、人を失って絶望した私を救ったのもまた、人だった。

 

何があってもずっと私は人のことが好きだったみたいで、人と関わることが好きで、人のせいで傷付く人が好きで、人のおかげで救われる人が好きだった。

愛したら失ったときに傷付くリスクを知って背負って、それによってどんなにしんどくてくるしくて死にたくなると知っていても、もう一度人を愛してみたいと思った。それでもやっぱり生きたいと思えたんだよ。

何が起こるかわかんないし、当たり前の明日もまた今度ね、も来ないことがあることをまざまざと思い知った。明日死ぬかもしれないし、今度も二度と来ないかもしれないことに、すごく心が痛くて泣きたくなったけど、そう思えるくらい大切に想えているんだなって知ることができた。

だから、またねと言いながら手を振った。

 

自分に真面目でありたいと思う。人に何かを教えたり伝えたりするために、まずは自分がちゃんと真っ直ぐ向き合っていたい。自分が向き合えてないくせに、人に何かを高慢垂れることなんてできない。だからお墓に行きたかったし、英語も始めたいなって思う。

すぱーんと飛び出して行く前に、ヒーローでもない私に何ができるんだろうって必死に考えていたけど、何もかも誰一人正しくもないし間違ってもいないから、ちゃんとそれだけ伝えられればいいと思っていた。人に向き合うことしかできないし、それだけはできる。

ずっとお守りみたいに頭の中をよぎっていた言葉と人がいて、何だか人の言葉を借りて動いてる気がした。それでも、その言葉を借りたことも私の選択だ。人に向き合って私が獲得した私の価値観と選択だ。

結局、自分のことを決めるのも自分自身で、自分の考え方を持つことが大切だ、とその人は繰り返し言うから。私だってそう思うし、ずっとずっとそれができなかったのに最近そうできるようになってきた。

だからこそ、その上で人が自分の選択ができるようになるため、できる限り側で寄り添うようなことを人に対してしたいとその人に伝えたい。人間そんなすぐに自分の意見を言えるわけじゃないから。正しさも間違いも決めたくない。中途半端ってわけじゃなくてたくさんの選択肢だけ持っておく。そのどれも選んでいいんだよ、って提示する。相手のことみんな肯定して、その上で話し合って決めたらいいんだよ。

 

たぶん、一生、君のことを思い出すのだと思う。

私が今回みたいに迷ったときに思い出すのは、今までに投げられた言葉と、貫いていたその行動と、傷付けられた想い出と、向き合うことで私が変わって救われたことなんだと思う。

自分が向き合えていないくせに、君のこと救えやなんてしなかったから、向き合いたかった。したら自分のこと気付いたら救えちゃっていたし、やっぱり私は今でも、救われ続けているのだと思う。関わるたびに救われているんだと思う。

私は私が救われた瞬間を思い出して、迷うたびにここに戻って来て、それによって生きていこうと思うから、やっぱりずっとずっと思い出すことになるんだと思うよ。私が前に進むたびに思い返す言葉は、いつも君の言葉をどこかで少し借りている。

それを心から誇りに思うよ。愛されていることを改めて知ったし、愛することは本当に楽しくて幸せなことだと思う。ありがとう。

ほんとにみんなも、心からありがとうございました。

来ないかも知れない未来に向けて、またねと言えることに怖がれることが幸せなんだと思えたよ。

だから、またね。また会おうね。